泣いたりわめいたり、叫んだり怒鳴ったり、さとしたり説得したら、甘やかしたり囁いたり…。

根っから生真面目な景子と私は、正面から素手で闘い続け、景子はそのうち、ベットからも部屋から出て来なくなりました。

 

子ども部屋で何時間も、「どうして学校に行けないのか」「何が起こっているのか」話し合いました。どちらもエネルギーが高いので、良くも悪くも、凄まじい日々が続きました。

夕方から、夜中まで続く時もありました。

 

最後に景子は、「どうせ私なんか死んだ方がいい!」そう言いだします。

私はそれを否定するのに必死でした。

 

最後には、抱き合って二人で泣きじゃくる場面何度もありました。

きっと、景子が欲しかったのはコレだったのだろうかと、今はそう思えます。

 

母である私に、無意識のうちに構って欲しかったのかも知れません。

次々に兄弟が生まれた景子は、親の都合で1歳半の時からお姉ちゃんに、させられてしまっていました。

 

弟と妹が可愛がられるのを目の当たりにしながら、一人我慢して寂しい想いをしていたのかも知れません。

私は日々の生活に必死で、その事も少し感じていましたが、考慮する余裕はありませんでした。

 

そもそも、この考えがあっているのかすら解りません。

景子も私も、あまりの辛さに解離症状と混乱で、記憶も判断できる状態ではありませんでしたから、残念なから推測に過ぎません。