次女が卒業し、コレで不登校は克服と、なるのでしょうか?
いいえ違います。
そもそも、不登校克服の体験談ではありません。
私が克服したいのは、「自信がない。生きている意味が分からない。死にたい。」そんな気持ちです。
次女は、高校を卒業しバイトを始めて、家に生活費も入れてくれるようになりました。
それでも、『人が信じられない。自信がない。生きてる意味が分からない。』そんな想いは続いていました。
○○〇カットは、ほぼ無くなり私は少しほっとしていました。
そして私自身にとって、その行為がとても苦痛でたまらない事を伝える事ができました。
私の不快や苦痛を伝える事は、大いに意味があったようです。
医学書では、『無理に止めない。』と、されていますが‥タイミングと止め方が大切です。
無理に!ここが一番重要だと私は感じています。
子どもの意思を強制しない事。伝えるのは親の想いだけです。
きちんと伝えていれば、親の想いを汲み取ろうと努力してくれます。
ただ、それでも、どうしようもない時もあります。
そんな時に子どもを責めないと。
お互いに落ち着いてから、どんな気持ちなのか、胸の内をはなしました。
そして、その事で将来どんな事を心配しているのかも話しました。
それでも、将来の責任を取るのは母ではなく、娘自身です。
私は、そう考えられうようになっていました。
コレは、アドラー心理学でいう課題の分離です。私はこの頃、そんな事は知りませんでした。
人は、必死になれば心理者が導き出すことくらいは、考えつくものだと実感しています。
私は、自分の怒りや苦しみを伝えるのではなく、娘への愛情をひたすら言葉にしました。
「何が不安で何が苦しくて、どんな心配をしているのか。どうなって欲しいと思っているのか。」強制ではなく、祈りのように言葉にできるようになりました。
娘は、大きく変わりました。辛さは続いていますが、いろいろと胸の内を詳しく話してくれるようになった事です。
辛さだけでなく、感謝やどうしようもない想いや、自分に対する不甲斐なさ複雑な想い。
これからどうしようと思っているのか、その都度お互いに話せるようになりました。
このことは、お互いの状態を知る事になり、不安が小さくなり、今何をすればいいのかが、とてもわかりやすくなりました。
そして、彼氏らしき人もいたようですが、「人を好きになるってどういうことか、わからない。どの人も同じな気がする。」と、言います。
私は、「そうか。」と、切なく聞いているだけでした。
そして、最後には『必ず幸せになるから大丈夫』と、言い続けました。最初は、コレも祈りでした。
でも、娘の思いを聞けば聞くほど、ほんとにいい子です。人として。
だから、『必ず幸せになるから大丈夫』コレは、確信になりました。
辛いのに誰も責めることなく、自分を責めてしまった。そして外に出る勇気が無くなった。
そんな時事が在りました。
私には、その真実が悪い事だとは、どうしても思えません。とても純粋で大切なものに見えました。
そんな人が不幸になるはずが、ありません。
そして、そんな事にならないためにも、私は最強のサポーターであり、最大の理解者になると、更に覚悟を決めました。
こちらから何かをするのではなく、娘が助けを必要とした時に、その力を身に着けておく事に力を注ぐことに決めました。
辛い時間を共に過ごし、親子関係は強固な絆になりましたが、あえてその関係に距離を置く。
母子分離ができるようになりました。