私は20年近く、精神科で看護師をしています。

患者さんは、「死にたい」を連発します。

 

不登校になった二人の娘に、「死にたい」と、10年以上言われ続けてきました。

私自身も、数年前に初めて「死にたい」と、思う時がありました。

 

 

たくさんの「死にたい」に直面し、考えたり思ったりしたことを綴ります。

コレは、あくまでも私の経験上での話です。

一言で「死にたい」と、言うけれど様々なタイプがあります。

 

 

二つ目の「死にたい」は、【逃げだしたい人】

つまり、辛すぎて、「現状に、いられない人」

普通に暮らしていても、一時的にこんな感情になる事はあります。

 

この状態が、一時的ではなく長期に及ぶと、精神科を受診されれる方も多いと思います。

そして、特徴的なのは、そんな自分を誰よりも自分自身が責めている事です。

「なんって弱いんだ。」「努力が足りない。」「根性がない。」典型的です。

 

その先に、「死にたい」気持ちが待ちかまえています。

こんなに責められては、死にたくもなります。

四六時中一緒にいる私自身が、いつもいつも責めるのですから。

気持ちが落ち込まないはずがありません。

 

でも、こういう状況になると、その事に気づくことができません。

更に、励まされたりすると、自己否定は強化され強固になるという悪循環が起こります。

 

「死にたい」感情が、すぐそばまで近づいたり、少し離れたりします。

少し離れる時があるから、息継ぎができるのでまだましかもしれません。

 

目的は、現状逃避でしょう。

『現状が変わらなければいけない』と思っている事が、一番の問題のような気もします。

 

 

現状が変えられる事なら、きっと変えていると思います。

『変わらなくてもどうにかなる』と、思えると楽になる事でしょう。

 

親に捨てられた、離婚の宣告をされた、大切の人と死別した…様々な不幸な出来事は生きていれば起こります。

 

でも、変わらなければ

生きられない理由にはならないと、私は思います。

 

なぜなら、家族・親友・親戚・知り合い・顔見知り・芸能人…

そんな人が死んでしまったと聞いた時に、人は悲しむからです。

 

チョットした知り合いでも、「あの時声をかけていれば良かった…」

必ず後悔の念が浮かびます。

そして、「死にたい」と言っている人も、周囲にそんな想いはさせたくない。

 

 

世の中は幸せに満ちています。

屋根があって雨露がしのげて、食事がとれて、暖かいベットに眠れる。

それ以上の事もあるでしょう。

 

それも無ければ、生活保護を受ければいい。

豊かな日本は、私たちを見捨てたりしません。

 

有難い限りです。

 

さて、次は‥