「そっと、してて」と、思う気持ちが伝わって行きました。

 

 

その頃の夫は

『行きたくもない会社に行き、やりたくもない仕事を残業し、責任を負わさせられる』と、いった感じに見えました。

 

 

娘が不登校になり、辛いのはおそらく同じです。

 

 

でも妻である私は

好きな職場に就職し、笑顔で週休二日で仕事をし、資格を取り周囲に評価され、辛いはずなのに毎日笑顔で、生き生きと自分の生き方を見つけ歩み始める。

もしかすると、そう見えた事でしょう。

 

 

少なくとも、私自身は辛い中でも、そう感じていました。

 

 

こんなギャップの広がる両親の狭間で、次女は…

苦しんでいたのか、つなぎ合わせたかったのか…

本人も無意識のうちに、暗く沈んでいきました。

 

きっと、違和感や不信感に敏感になり、押しつぶされたのではないかと、私は感じています。

 

 

 

 

でも、とても残念なことに

この頃の私は、【自分は正しい】と、強い信念を抱いていました。

必死だったぶんだけ、命がけだったぶんだけ、自分を間違っているとは思えませんでした。

 

 

娘が元気になるためなら、死んでもいいくらいの覚悟がありました。

その私を否定されれるのは、納得がいきませんでした。

その頃は…

 

 

 

我慢は、人のためにも自分のためにもならない事を、この体験から学ぶことになりました。

 

必死な時には、集中するので視界が狭くなり、他は何も見えなくなります。

特に私は、その傾向が強いです。

 

 

いい事でもあるけれど、無理は他人を傷つけてしまいます。

 

きっと、娘も夫も傷つけたのでしょう。きっと…