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  2月11日京都から広島へ。翌朝,アクセスしか調べていないことに気づき,平和記念資料館を検索すると東館が閉鎖中で本館のみとのこと。これだあ!ようやく広島に来たというのに,相変わらず間抜けな私。18時のフライトまで,どうしようと観光案内のサイトを見ても,気は乗らず。「ままよ!(いつも,そんな感じです。)行ってみれば,思いもよらぬ出会いがあるかも!」と,ホテルを後にした。
 原爆ドーム前で,ふらふらと時間をかけて歩いていて,…。
 そして!!!真実を語る三登浩成さんと出会いました!!!


 報道では伝えられていない事実,隠蔽され続けていた事柄の多さ。世代交代による風化の現実。三登さんの語りに,知らなかった自分に呆れ,混乱もあり,こみ上げる憤りもあり,整理がつきません。
 写真の墓地は,原爆ドームの前の道路を挟んだところです。

  墓石の大理石のざらざらのところは,光を受けて溶けた部分で,つるつるのところは,陰になった部分。その傾斜をたどると,上空のどの辺りで核爆弾が炸裂したのかが分かります。


 爆心地付近は真空状態になり,人体にかかる負荷はむごたらしく,ここに書き表す勇気が出ません。その負荷は50秒で,…。

 

 「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんとABCC(アメリカが設置した原爆障害調査委員会)の話も衝撃でした。棺の中,顔と手以外はお花に埋もれる写真。でも,彼女の遺体は,原爆症の検体として使われたのです。アメリカは終戦に導くために広島を犠牲にしたといわれていますが,核爆弾の実験場だった!?


 2月5日まで続いた平和公園の電飾。これを企画した職員に「アウシュビッツで電飾をするのと同じ事だ。そんなことがありうるものか。」と抗議すれば,彼は「アウシュビッツ」という言葉を初めて聞いた,「それは,なに?」という顛末だったいう。このことに象徴されるように,現地広島でも,風化は始まっていると嘆いておられました。
 現資料館を訪れたアウシュビッツ=ビルケナウ博物館の館長は,だめ出しをしたそうだ。後世の人々に真実を伝え,二度と繰り返してはいけないという教育力に甘さがあると。

 美しく整えられた平和公園,川の護岸壁。

 

 そうだった。アウシュビッツは,当時のままだった。(ドイツ軍に爆破されたガス室)


 それなのに,さらに子供たちに恐怖を感じさせないために一部の展示品(写真の被爆人形も)が撤去されるそうだ。実際は,服を着ているはずもなく,顔を含め全身の皮膚が垂れさっがっている状態のはずだ。けれど,少しでもその惨状を伝えたいという当時の人たちが妥協して展示したのだという。

 

 三登さんと別れてから,資料館を訪れました。常設展のものはパネルで展示されていたし,数年前訪れたアウシュビッツとは比になりません。でも,三登さんとの出会いは,アウシュビッツの日本人ガイド中谷剛さん(写真の人)との出会いを思い出させました。(ずうっと先まで予約が一杯の中谷さんなのに,偶然その日だけ空いていた点でも。)

 

 平和教育への思いを再び,新たにした一日でした。 

 

 三登さんは,胎児性被爆者として生まれ,教職を退職されてから10年以上,真実を伝えるガイドとして原爆ドームの前でボランティアを続けておられます。詳しくは,三登さんのブログ「広島の視線」をぜひご覧ください。(by Yossy)