トマト
もナス
も、おいしいですよね~♪
でも、子どもの頃、生まれて初めて口にした時って、結構、勇気が要りませんでした?
初めて食べたトマトの味って、憶えていらっしゃいますか?
「だまされたと思って、食べてごらん。おいしいよー♪」
これは、私の祖母の常套句で、私に「初めてのもの」や「嫌いなもの」を食べさせようとする時、必ずこの言葉を使っていました。
“ホウレン草”の時は「ポパイになれるよ」でした
お世辞にも「おいしそう」だなんて思えないものを、一生懸命口に運んだものです。そして毎回、「だまされた」と思っていました
。
食べ物に限らず、物事を「好き嫌い」で片付けられれば、世の中、こんなに楽なことはないだろうなと思います。
「好き嫌い」を、一言口に出せば、その度に人生の選択肢が減り、自分の可能性の幅を狭めていくような気がします。
…と申しますのも、「好きなもの、やりたいもの」だけを選択する習慣がついてしまいますと、日常の中で、他の選択肢を一切とれなくなっていくでしょうし、とらざるを得ない時には、“不平や不満”といったものが必ずあらわれるものだからです。
「好きな人たち」とだけ付き合い、苦手なタイプや嫌いな人は近寄らないでほしい、という人もいます。
「好きなこと」しかやらない、「嫌いなこと」はやりたくない、という人もいます。
“生き方”です。
確かに、居心地は良いでしょうし、ストレスを感じることもないでしょうが、本当にそれが自分にとって「ベストな選択」だと言い切れますでしょうか?
もしかしたら、子どもの頃のトマトではありませんが、「食わず嫌い」もあるのかもしれませんよ?今まで自分が「好き」だと思っていたものは、もしかしたら「それしか知らない」だけのことかも知れませんよ?
自らの好みを絞るのは、いろいろ試してみてからでも、決して遅くはないと思うのです。特に、若いうちはそうでしょう。そうでないと、歳をとってから「やったことがない」ことの多さに愕然とすることになるかも???
それでも、長い人生の中で、私たちは知らず知らずのうちに、この「好きなものだけ」「やりたいものだけ」の選択に慣れていきます。
「自分が好きなものだけを選び、やりたいものだけをやる」のではなく、たまには、自分が「やるべきことを好きになる」努力をする、というのはどうでしょうか?決して、損はないと思いますよ。
子どもの頃のトマトの味…、最悪でした。嫌いでした。
食べてみましたし、がんばって、ガマンして食べました(←「一口だけ」とか言い聞かされながら…ね)。
今、大好物です
。
子どもたちの受験勉強も同じような気がします。
「できないことを無理にやらせる必要がない」
「嫌いなことを無理やりらやらせる必要はない」
…こういう考え方が、「最新」で「子思いの親」というイメージが作られた時代も確かにありました。
でも、本当に、そうでしょうか?
『意味がない』と片付けるのは、「できるようになる」ための“努力”・“ガマン”・“工夫”といったものを、もっともっともっとも~っと教えてから(本人が試行錯誤してから)、で、決して遅くはないと思うのですが、いかがでしょう?
親が、この意識を持つことが大切だと思いますよ。
“言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ”ですよ。
「そんなこと、(まだ)できなくたっていいのよ」
「そんな小さいことに、こだわらなくたっていいのよ」
「後でできるようになればいいのよ」
こういうお言葉を使われるお母様に、時々、出会います。
優しい優しいママさん達です。
こういうママさん達は皆さん、口を合わせたかのようにこうも仰います。
「ウチの子は、ちょっと“個性的”でして」…と。
あのぉ~…
それは、“個性”とは言いません。
ただ、ここまで、できるように躾けられてこなかっただけです。
「できなくても、構わないこと」も確かに世の中にはたくさんあるものですが、「できないと困ること」もたくさんあるものです。その線引きが「好き嫌い」であってはなりませんし、ただの甘やかしにならないように、ちょっとお気をつけになられるとよろしいかなと思います。
少々、お説教くさくなってしまいました。すみません。
でも、子どもの頃、生まれて初めて口にした時って、結構、勇気が要りませんでした?
初めて食べたトマトの味って、憶えていらっしゃいますか?
「だまされたと思って、食べてごらん。おいしいよー♪」
これは、私の祖母の常套句で、私に「初めてのもの」や「嫌いなもの」を食べさせようとする時、必ずこの言葉を使っていました。
“ホウレン草”の時は「ポパイになれるよ」でした
お世辞にも「おいしそう」だなんて思えないものを、一生懸命口に運んだものです。そして毎回、「だまされた」と思っていました
。食べ物に限らず、物事を「好き嫌い」で片付けられれば、世の中、こんなに楽なことはないだろうなと思います。
「好き嫌い」を、一言口に出せば、その度に人生の選択肢が減り、自分の可能性の幅を狭めていくような気がします。
…と申しますのも、「好きなもの、やりたいもの」だけを選択する習慣がついてしまいますと、日常の中で、他の選択肢を一切とれなくなっていくでしょうし、とらざるを得ない時には、“不平や不満”といったものが必ずあらわれるものだからです。
「好きな人たち」とだけ付き合い、苦手なタイプや嫌いな人は近寄らないでほしい、という人もいます。
「好きなこと」しかやらない、「嫌いなこと」はやりたくない、という人もいます。
“生き方”です。
確かに、居心地は良いでしょうし、ストレスを感じることもないでしょうが、本当にそれが自分にとって「ベストな選択」だと言い切れますでしょうか?
もしかしたら、子どもの頃のトマトではありませんが、「食わず嫌い」もあるのかもしれませんよ?今まで自分が「好き」だと思っていたものは、もしかしたら「それしか知らない」だけのことかも知れませんよ?
自らの好みを絞るのは、いろいろ試してみてからでも、決して遅くはないと思うのです。特に、若いうちはそうでしょう。そうでないと、歳をとってから「やったことがない」ことの多さに愕然とすることになるかも???
それでも、長い人生の中で、私たちは知らず知らずのうちに、この「好きなものだけ」「やりたいものだけ」の選択に慣れていきます。
「自分が好きなものだけを選び、やりたいものだけをやる」のではなく、たまには、自分が「やるべきことを好きになる」努力をする、というのはどうでしょうか?決して、損はないと思いますよ。
子どもの頃のトマトの味…、最悪でした。嫌いでした。
食べてみましたし、がんばって、ガマンして食べました(←「一口だけ」とか言い聞かされながら…ね)。
今、大好物です
。子どもたちの受験勉強も同じような気がします。
「できないことを無理にやらせる必要がない」
「嫌いなことを無理やりらやらせる必要はない」
…こういう考え方が、「最新」で「子思いの親」というイメージが作られた時代も確かにありました。
でも、本当に、そうでしょうか?
『意味がない』と片付けるのは、「できるようになる」ための“努力”・“ガマン”・“工夫”といったものを、もっともっともっとも~っと教えてから(本人が試行錯誤してから)、で、決して遅くはないと思うのですが、いかがでしょう?
親が、この意識を持つことが大切だと思いますよ。
“言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ”ですよ。
「そんなこと、(まだ)できなくたっていいのよ」
「そんな小さいことに、こだわらなくたっていいのよ」
「後でできるようになればいいのよ」
こういうお言葉を使われるお母様に、時々、出会います。
優しい優しいママさん達です。
こういうママさん達は皆さん、口を合わせたかのようにこうも仰います。
「ウチの子は、ちょっと“個性的”でして」…と。
あのぉ~…
それは、“個性”とは言いません。
ただ、ここまで、できるように躾けられてこなかっただけです。
「できなくても、構わないこと」も確かに世の中にはたくさんあるものですが、「できないと困ること」もたくさんあるものです。その線引きが「好き嫌い」であってはなりませんし、ただの甘やかしにならないように、ちょっとお気をつけになられるとよろしいかなと思います。
少々、お説教くさくなってしまいました。すみません。