今朝、新聞を開くと

「トロッコ問題」についての記事が目に留まりました。

 

 

 

トロッコ問題とは、究極の2択問題です。

暴走するトロッコ。

そのまま進めば、線路の先にいる5人の作業者を轢いてしまう。

分岐器を操作して路線を変えると、別の作業者を1人轢いてしまう。

5人を助けるために1人を犠牲にすることが許されるか否か。

決して正解があるわけではない、道徳上の難題です。

 

いま、開発が進む自動運転車。

道路脇から飛び出してきた子供を避けなければいけない。

だけど反対車線には、対向車が来ている。

 

AI制御でどのように指示させるのか?

仮にそれで被害が出た時に、責任の所在はどこにあるのか?

まるで「トロッコ問題」のような課題が出てきている。

それを今後、国土交通省でシステムの判断の在り方について検討を行うということなのですが・・・

 

僕が気になるのは、最近あまりにもAIに頼り過ぎている側面があること。

確かにAIは便利です。

考えなくても、いろいろなことをやってくれる。

だけど、それに頼り過ぎて人間が本来持っている感覚がどんどん劣化していかないか?

自分自身でその都度「何が最適か?」を考える能力を失うのが、一番恐ろしいと僕は思うのです。

 

先の自動車運転の例でも、その時の状況次第で最適な判断は異なります。

被害を最小限に抑えるためには、道路状況や飛び出してきた子供の挙動、それに対向車の様子までもがすべて判断材料になるのだから。

それを一緒くたに、AIに判断させようとするのがそもそも間違いのもと。

あくまでもAIはサポートで、最終的な判断は人間はしなくてはいけないことを肝に銘じておかなければいけないと思うのです。

 

 

先日もね、ヒヤッとする場面があったんです。

繁華街で信号待ちをしていた時のこと。車がビュンビュン通っていきます。

こんなに車が多いと、車道の信号が赤になってもギリギリで突っ込んでくる車がいるかもしれない。

だからみんな、青信号になってからも一度、車道の様子を確認してから渡ろうとする注意

これが本能であり、注意する力です。

だけど、二十歳前後の若い男の子が二人、青信号になった瞬間に走って来る車の前にダーッと飛び出していっちゃった。

「青になった」「渡ろう」ただそれだけだったんでしょうが、車道の様子などまったく見ずに……。

 

ブーッピリピリ

激しいクラクションを鳴らしながら車が避けて、なんとか事なきを得たけれど。

もちろん、信号を無視した車の方が悪いのは当然なんだけれど。

 

自分の身は自分で守れるよう、常に周りの状況を把握する。

その時その時で、最適な行動を取れるよう心掛ける。

少なくとも、自分に危険が及ばないように・・・

そんな人間本来持っている、大切な感覚を忘れないように。

危険を回避する本能は、決してなくしてはいけないと思います。

 

というわけで、今夜はこれからマンションの理事会へ。

ああ、やれやれですが、今期も僕は理事長を務めるわけで(^^;)

もう一年、頑張りますか。

 

 

終わったら、一杯やろうっと。

 

 

 

それを楽しみに、もうひと頑張りしてきますよ~DASH!

 

 

 

 

 

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(令和5年3月14日 産経新聞朝刊)

 

 

 

 

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