「ねえ、ガガさん。ひとつ気になることがあるんですが」
早くも次作の作品のために資料を眺めていた僕は、あることに気付いてガガに声をかけた。
「最近、お寺に足を運ぶ機会が増えてる気がするんですが、
何か意味があるんでしょうか?」
僕はこれまで、古事記研究者として神社の神様について書くことが多かった。
当然、取材を含めて神社を回ることも多い。
だけど最近、お寺に足を運ぶ機会も増えた。
佐野市の佐野厄除け大師に
仙台市の定義如来西方寺、
三瀧山不動院、
勢至菩薩を祀る二十三夜堂などだ。
これは果たして龍神様の導きか?
もしもそうなら、ここに何か意味があるのだろうか?
僕はガガの回答を待った。
すると・・・
「当然意味があるがね。
おまえらが更に神様のことを知るためには、日本人がいかに神様とつながってきたか、その成り立ちや歴史も知る必要があるからな。
その時が近づいているということさ」
ガガが「そのくらいわかりたまえ」とばかりに、言葉を返して来た。
「神様との成り立ちや歴史? ええ?そんな難しいこと学ぶんですか?」
困ったなと、僕は頭を掻いた。
「なあに、案ずることはないがね。それにだ、そもそも日本では、神道と仏教は集合していたではないか」
たしかに日本では平安時代から、神仏習合を取り入れた文化がある。
だから、神前でお経をあげたり、神様に菩薩号を付けることもあった。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)という概念では、神様は仏様が化身として姿を現したものと考えられた。
アマテラスは、大日如来の。
八幡神(応神天皇)は、阿弥陀如来。
スサノオは、牛頭天王という具合だ。
「考えてもみたまえ。おまえらが信仰する、戸隠だってそういう歴史があるではないか」
「た、たしかに・・・」
僕は、前に調べた歴史を思い出した。
戸隠神社はもともと、天台密教・真言密教・神道が習合した「戸隠山勧修院顕光寺」というお寺だったのだ。
奥社に通じる杉並木の参道は、戸隠山に向かって左手が真言宗、右手が天台宗の領域であったという。
つまり宗教や宗派が一緒にいたということ。
しかも江戸時代に入ってからは、寛永寺の末寺にもなっている。
「ということは。神社とお寺。それを明確に分けた歴史の方が短いってことですね」
僕の言葉にガガ「さよう」と頷いた。
「だから我々は、神様だけでなく、仏様も背中に乗せて飛んだりするがね」
「言われてみれば龍神についての書物は、神道よりも仏教の方が多いですもんね。そういう他の宗教だとか、神様を寛容に受け入れる精神こそが、日本の素晴らしいところなんだなあ」
それは、他者を敬うという行為でもある。
そして、そういう精神こそが、今の世界に必要なんじゃないか。
そして僕たちが最近、お寺にも行く機会があるのはきっと、
「龍神や神様を知るためには、そういう歴史ももっと深く学べ」
というメッセージなんだと思う。
うーむ、日本の神様は奥が深い。
そして同時に、日本人は一体どこまで見えない世界を理解していたというのか・・・
僕は盛大にため息を吐いた。
まだまだ学ぶべきことは多そうだ。
そして僕は再び資料に目を落とした。
この世は知らないことだらけ。
だから、学ぶのが面白いのだ。
うん、そう思う。
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