よく「日本人は節操がない」という人がいます。
キリスト教の行事であるクリスマスを祝い。
一週間もするとお寺で大晦日の除夜の鐘を聴く。
年が明けると神社へ初詣に出かける。
宗教が違うのに節操がない、と。
たしかに一見そう思いますよね。
僕も昔はそうでした。
でも、この仕事を真剣にやっていると、様々なことに気が付きます。
そして、よくよく考えてみると、これまでとはちがった別の答えが見えてくることもあるんです。
僕が出した答えはこれです。
「宗教が違うのにけしからん」という人の方が、実は西洋の「Religionレリジョン(宗教)」という考えに囚われていて、
日本人本来の精神を忘れている可能性があると思うということ。
日本人は自然そのものに感謝しました。
山があり、海があり、川が流れる。
その中で海の幸、山の幸を頂き、幸せを享受している。
それは「信じる」のではなく「感じる」もの。
それが日本人にとっての信仰だったんです。
ところが、その概念は異国からキリスト教が入ってきてから、変わり始めます。
実は宗教と言う言葉自体、昔の日本にはありませんでした。
その理由は簡単です。
「他の神様を信じてはいけない」という概念自体が
日本になかったから。
そこで英語のReligionの日本語訳としてつくられたのが「宗教」という言葉でした。
だから「宗教」には、キリスト教の唯一神の概念が色濃く浸透しています。
聖書の「モーゼの十戒」の第一戒目が
「わたしをおいて、他の神を崇めてはならない」
だったからです。
西洋から入ってきた「宗教」では、他の神を崇めてはならない。
つまり、宗教の掛け持ちなんてもってのほかということ。
ところが日本人は自然そのものが尊いという考えだから、仏教が伝来した時も「外国の貴い神様」として受け入れました。
尊いものにはすべからく頭を下げ、敬う。
それが日本人の精神だったんです。
周りにある自然そのものが神様。
そして人間も自然の一部だから、周りの人も神様。
だから、どんな人にも敬意を払う。
その精神が如実に表れたのが東日本大震災の時に世界から称賛された日本人の秩序ある行動に繋がったのだと思うのです。
「そうしろ」と言われたからするのではなく、
自然とそういう気持ちが湧いてくる。
これが日本人の心なんだと思います。
そして今。
世界でも少しずつそういう動きがみられるようになっています。
ローマ法王がトルコでイスラム教徒の礼拝所であるモスクで祈りを捧げたり。
分裂後1000年ぶりにロシア正教会の総大司教と会談をしたり。
少し前までは考えられなかったことが起きている。
これこそ日本人の神道が重んじる「和」の精神ではないでしょうか?
世界の人々が幸せになるために、日本のこの精神。
神道の精神こそが、今、必要とされているような気がします。
あ、ちなみに僕だって。
初詣にも行くし。
クリスマスだって楽しみます。
子供の頃は母親に頼んで、サンタクロースに手紙を書いていたくらいですから(笑)。
僕はこんな日本というおおらかな国に生まれて本当に幸せです。
今日も頑張りましょう
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