昨日は久しぶりに、
志波彦(しわひこ)神社 鹽竈(しおがま)神社へ
ご挨拶に伺いました!!
参道は濃い緑に覆われてグリーンのトンネルのようでした
この季節の新緑の香りは心地よく、鼻孔を刺激します。
朱色の社殿はいつ来ても華やかなムードで、豪華だなあと感じます。
別宮のシオツチ様。
左宮のタケミカヅチ様。
右宮のフツヌシ様。
神社に行く時は、神様のことをきちんと知っておくことも大事です。
そして、同じ境内の志波彦神社にもご挨拶に。
実は、妻ワカは昔からこちらの
「志波彦神社さんの方が強く惹かれるんだよね~」
と、よく言っていました。
そこに先日、ワカの感覚を裏付けるかのようなこんなご質問をメルマガに頂きました。
ちょっとご紹介しましょうか。
Q.
ボランティアのガイドさんに説明して頂いたのですが、一宮の鹽竈神社よりも志波彦神社の方が位が高いとの事。
一宮より位が高い神社とはどういう事なのか教えて頂きたいです。お願いします。
おーっ!!
これは興味深いご質問です。
恐らくガイドさんは、志波彦神社が『延喜式(えんぎしき)』の神名帳に記載されている神社であり、
なおかつ「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていたことからそういう説明をしたのだと思います。
ちなみに明神大社とは、延喜式に記載されている2861社の中でもわずか225社しかない特別な神社です。
ちょっとここで延喜式の説明をしますね。
延喜式とは平安時代中期に編纂された格式のことで、927年に成立したもの。
この中に神名帳というのがあって、朝廷の勢力下として認識されていた神社の一覧がありました。
よく神社に行くと「式内社(しきないしゃ)」「式外社(しきげしゃ)」という文字を目にしたことがある方も多いと思いますが、
延喜式に記載のあった神社を「式内社」、記載されていない神社を「式外社」と言います。
つまり、志波彦神社は927年当時に朝廷に認識され、特に崇敬を受けていた神社ということを意味しています。
それに対して、鹽竈神社は延喜式には記載されていない「式外社」にあたります。
(ただし、現在は志波彦神社・鹽竈神社と表記することで式内社として扱っています)
とはいえ、延喜式から約100年前の830年に嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に鹽竈神社について
「鹽竈神を祭る料壱万束」
と記されており、厚い祭祀料を授かっていたことがわかりますから、
どちらも篤く崇敬された「すごい神社(笑)」であることには変わりありません。
ちなみに延喜式は、朝廷と対立していた神社は記載されなかったともいわれますから、
記載の有り無しは、そのあたりの歴史的な事情もあるのかもしれませんね。
ところで、なぜ同じ境内に
延喜式明神大社、志波彦神社
と
陸奥一之宮、鹽竈神社
が一緒にあるかというと。
明治天皇が行幸された折に、この地をとても気に入られ、仙台にあった明神大社である志波彦神社を遷祀(せんぐう)されたのだそうです。
そのためか、志波彦神社・鹽竈神社は皇室とも関わりが深く、
美智子上皇后陛下のお母さま・正田富美子さんも、美智子さまがご懐妊された時は、鹽竈神社に腹帯を求められたそうです。
ぜひとも、機会があったら皆さんにも足を運んで欲しい神社のひとつです。
あ、その際は塩釜の魚介類も召し上がってくださいね
宮城の海の幸はとても美味しいですから!!
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