臥蛇島産トカラの♂が蛹化しました。

今日はトカラ列島の臥蛇島に生息する臥蛇島産トカラノコギリクワガタについて書きたいと思います。

臥蛇島の歴史については、ウィキペディアに以下のとおり記載が有ります。

かつては人口が100人を越え、戦前はカツオ漁などにより他の島に比べ繁栄を誇っていたが、急峻な地形で大規模な築港ができないなどの理由から徐々に衰退。米軍統治下に入った戦後の一時期こそ活況を見せたが、それも長くは続かなかった。

やがて、島内で完結した自給自足の自然経済から貨幣経済への移行がせまられたこと、本土復帰を経て昭和30~40年代の集団就職による人口減などの問題、さらに週一回の定期航路さえ大シケのために欠航が続き、しばしば飢饉騒ぎが起きたことなど、島での生活を維持していくことが困難になった。このため1970年(昭和45年)7月28日、全島民が鹿児島市などへの集団移住を選択した。なお、この頃の人口は7世帯28人(1970年(昭和45年)1月調査時点)にまで減少しており、最後の日は4世帯16人であった。

移住後、略奪船により扉や窓を破壊され、更に台風被害等も重なったため、無人島となってからわずか数年後には殆どの住居が荒れ果て、手の付けられない状態になってしまった[要出典]。島民の集団移住後も、灯台の職員が1982年(昭和57年)4月まで交代制勤務により滞在していた。

島の周囲は好漁場であること、またダイビングスポットになっていること等から、島の周囲に寄りつく船は多い。上陸は、公には認められていない。現在では船着き場から集落跡までが荒廃しており、大変危険な状況である。

1970年に無人島になり、既に54年の歳月が立っています。しかも台風の通り道である臥蛇島はかなりの荒廃が予想できます。

月刊むしの1999年に発刊された340号、350号に船着場から眼前に広がる崖があります。昔は階段があったらしいのですが、当然風化しており、ただの急勾配な崖であり、そこを荷物を担いで登らなければならないのです。

月刊むしの340号、350号に画像が掲載されてます。




この岩が突き出た岩場を登らなければなりません。

臥蛇島への渡航はチャーター船で行くのですが、帰りは何日後の何時頃と約束します。

海が荒れると翌日になりますが、当然電波も無いので連絡が出来ません。

この岩場を登ってる最中に足を滑らせて、頭を打ったら、もう死に限りなく近い場所に居る事になります。

この臥蛇島には、数人の人しか行ってません。

私が初めて臥蛇島トカラを手に入れたのは、2006年頃で幼虫ペアで1万を超えてました。

この最難所で採集されたクワガタです。

当然の価格だと思います。

昨今の臥蛇島トカラの価格は残念でなりません。

臥蛇島トカラは日本一の難所で採集され、今後、採集される可能性は限りなく低いクワガタなんです。

今後、この残された血を絶やす事無く、累代を続けて行きます。


本日も最後まで見て頂き、有難う御座います。