でっかいどう
『おい、このブログは生きてんのか?』というたくさんの読者からの声が
届いていないので、
『生きています』とこちらからアピールすることにしました。
四国で北海道限定発見!!

ガラナってメキシコの飲み物でしたっけ?
北海道って独自の飲み物が多いみたいです。
【カツゲン】って乳酸菌飲料とか、
【いろはすのハスカップ味】とか、
そういえば札幌で食べたホッケ美味かったな。
あと、ホタテのバター焼き。
スープカレーは認めませんが。
𠮷野家の十勝豚丼は逸品です。
北海道物産展は心踊ります。
小さい時じいちゃんにお土産でマリモもらいました。
クマの置物はもらってません。
北海道の有名人はどうして北海道から出たがらないのか?
結局【北の国から】を最後まで観てない。
とにかく、
北海道もいいですよね~。
体罰の線引きって・・・
頬をたたく・・・何気に映画や、テレビで良く出てくるシーンですよね。
考えると頬をたたく理由って、
心を閉ざし、気付いてないその人に、他人が頬をはるような気がします。
自分がテレビで思い出すシーンは・・・
ガンダム(すみません(笑))の中で、アムロがガンダムに乗るのを拒否したときに、
艦長のブライトが、アムロの頬をたたくシーン。
アムロ「二度もぶった!親父にもぶたれたことないのに!」
ブライト「それが甘ったれなんだ!殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」
ブライトの言葉は極論だと思いますが、考えること一つ目は、
アムロの「親父にもぶたれたことないのに」です。
皆さんは、親に叩かれたことはありますか?
そして、今、子供がいる人は、叩いたことがありますか?
自分は、親に叩かれたことがあります。
でも、今現在、恨んでなんていませんし、
誤解を恐れず言えば、逆に感謝している部分もあります。
自分は、子供を叩いたことがあります。
それは、事故などの命にかかわることを伝えるために叩きましたが、
そのあとは、自問自答をくりかえしました。
芸人の水道橋博士がこんなことをラジオで言っていました。
「叱るの反対語ってわかりますか?」
自分は、「ほめる」だと思ったのですが、
ほめるの反対語は「けなす」だそうです。
叱るの反対語は、ネグレクト(無視する)なんだそうです。
つまり、その人を本気で変えたいから叱る。
変える気がなければ無視する。
になるのだなと、話を聞いていて思いました。
自分のことを本気で変えようと思って、手をあげられたと感じたから、
恨むより、今の自分を作ってくれたことに感謝しているのだな~と、つくずく思いました。
(今まで、親に殴られたことがない人は、
すごく早くから親を尊敬して、信頼関係が出来ていたからだと思います。)
そして、子供を育てる時には、その子の間違った行動を無視を出来ないから、叱る、
本気で変えようとするのだと思います。
考えること、二つ目は、ブライトの言葉、
「殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか」です。
正直「うーん」ですが、自分は先生やコーチに殴られたこともありましたが、
これも、その人を変えたいと思って叱られた時は、わかりましたし、
納得出来ない部分もあったように思いますが、
心があるかないかでぜんぜん、感覚は違ったと思います。
ですが、このような自分をつくられてきた過程があって、
今の自分があるのだな~とも思います。大人になるってこういうことかな?
(人と人とのつながりって、思いがあるかどうかだよね~。)
アムロの事を考えると、親父はアムロよりも、ガンダムのほうを大事にしていた感じだし、
ブライトは、アムロを良くしようと思っていたかはわからないですが、
本気でアムロを変えようとして叱ったのだと思います。
つまり、この時は、ブライトはアムロの親父になったんだろうな~と・・・
考えると、おじいちゃんでも、おばあちゃんでも、姉でも、兄でも、先輩でも、友達でも、
自分のことを、本気で心配して、変えようとアプローチしてくれる人に感謝しないとですね。
最後に、「思い」がない状態で、自分がやりたいがために、その人(子)を叩いたら・・・
それは、体罰になるんだろうな~
駄目だ~。いつもどうりまとまらない文章ですみませんです。
なぜか、昔読んだ「小鹿物語」を思いだした、スーパードライでした~ m(_ _ )m
コーチ
久々にdragonが記事を投稿します。
別に忙しかったわけでもなく、他意はありません。
昨今ニュースやワイドショーではイジメだの、体罰だの、パワハラだの、辞任だの、坊主で謝罪だの。
結局マスコミに踊らされてるんじゃないかって思うんですよね。
つい半年前にはメダルメダルって煽っていた人たちが今度は勝利至上主義を否定してるし(笑)
「これが正解」っていう上から目線で偉そうに語ってるコメンテーターにうんざりです。
「正解」は一つじゃないと思うんですけど。
そのマスコミで【コーチ】の語源についてやってました。
そういえば大学の講義で習ったような。
「四輪馬車」なんですよね、コーチの語源って。
選手を目的地まで安全に送り届ける。それがコーチの役割。
でも、馬車ってムチを使ってますけど・・・。
ま、細かいことはいいか。
さてさて、私たちトレーナーも指導者として「正解」を求めて選手を目的地に導いていきましょう。
教えること、教わること。
そろそろ、歳の数の豆が厳しくなりました。スーパードライです。
BASEブログとしても、膠着状態を打開するべく、
いつもどおりの内容がないブログを書きます。(すみません
)
1月31日から、自分の指導先に、自分が3年間指導した選手が
インターンシップで、指導先に帯同して行きはじめています。
「自分の指導先を見て、幻滅しないかな?」と不安もありました。
が、大学の進学の進路を決めた理由が、
「スーパードライさんの指導を受けて、人間工学部系の進路をえらびました」
なんて言われ、悪い気持ちもしなかったですが、ものすごい責任を感じる部分もありました。
自分は、それに見合う指導をしていたか?指導をしたいという情熱はあったか?
考えさせられました・・・
今日、指導後に本人と話していて、
彼に教えようと思い、考えることが、自分の勉強、確認になっているな~と、
つくずく思いました。
本人と話していて、彼が色々なことに興味のアンテナを張っていて、
色々なスポーツ、お店の接客の仕方や、勉強すること、
すべてを、やらされることなく、楽しもうとしている姿勢に驚かされました。
「あ~自分も、このぐらいの時、初めて指導した時、こんな気持ちだったな~」と。
細かい指導テクニックや、気がつく所は出来ていても、
その選手の成長する喜びや、良くしてあげたいと言う思いは、
もしかしたら、忘れてしまっているのでは・・・なんて、考えさせられました。
待ったなしで、明日も指導を待っている選手がいます、
本質追及、そして、気持ちをこめて熱い指導をやり続て行きますよ~!!
この機会を与えてくれた、Y高校、2年前の背番号1番に感謝します・・・ありがと~う。