第1回の公認心理師試験では「不適切問題」が指摘され、厚生労働省が「お詫び」の声明を出したが、今回はどうだったのだろう?

 

 そもそも心理の臨床に関わる職に就く人を選抜するのに◯✖️式の試験で採点するというのは、そもそも意味があるのだろうか?言葉を変えると◯✖︎式問題で心理臨床の専門家を選抜することが、そもそも適切なことなのだろうか?

 

 

公認心理士制度を推進してきた丹野義彦は、

「試験問題のうち、ケース問題を可能な限り多く出題する」と規定。 医師の事例問題なら正解が決められる。 しかし、心理師の事例問題は、正解がひとつに定まらない。 これまでの臨床心理士資格試験の事例問題をみても、 結局は国語力で解ける問題となり、技能の試験ではなくなる」と述べている。

 

 

 これは、まさに「科学主義」的な見解だといえる。自然科学の領域であれば、「真理」はただ一つしか存在せず、それ以外はすべて誤りだということになる。その方法を人間の心に関わる領域にそのまま持ち込むことが可能だといえるだろうか? また、単純な科学主義を持ち込むことで、これまで心理臨床の現場でコツコツと培われてきた努力や営みが毀損されかねないという危惧がある。

 

丹野は「対策」として、以下のようなことを述べている。

 

対策

⇒事例問題を作るときは、臨床心理学だけでなく、5領域関係者( とくに医療関係者)、基礎心理学者を交えて、慎重に検討すべき ⇒事例問題の割合は少なくするべき。(試験後に不適切問題が発覚することは、国家試験として恥ずべき こと。これだけは避けるべき)

 

 要するに、公認心理師試験の問題には、医学・生理学的問題やら、心理学科の基礎科目やら「正答」が一つしか存在しないような問題を出せ、というわけだ。こうなるとこの試験に出題されるのは、医学・医療分野の初歩的知識や、入門的心理学の知識を中心に出題しようというわけだ。これなら単純に◯✖︎式採点が容易になる。

 

 しかし長年、心理臨床に関わってきて、学部で学んだような実験心理学や認知心理学などのいわゆる「科学的」な心理学の知識が臨床場面で実際に余り役に立ったという実感はほとんどない。それよりも心理学以外の哲学や文学、人類学など人文科学的な知識や、映画や小説や童話に触れて得た示唆の方がよほど臨床の役に立った、というのが実感である。臨床心理学というのはそういったもので、科学的な心理学とは軌を異にする学問であると言って差し支えないだろう。

 

 そして、人間の心は人によって異なるものであるし、同じ個人でも置かれた環境や対人関係などをめぐる状況や関係性の文脈によっても異なるので、唯一絶対の「正答」が存在するという前提にすること自体が不合理であるし、「不適切」と言うべきだろう。

 

 だから、問われるべきは公認心理師試験をマークシートの◯✖︎式問題で行う、あるいは◯✖︎式問題で選抜が可能であるとする見解が、心理臨床の従事者を選抜する場面において、果たして「適切」なのか「不適切」なのかということではなかろうか?