何もかもが停滞している? 2021/8/31からの続き
やっと3,4日くらい前から少しずつ止まっていた何かが動き始めているような?
大きな動きは出ていませんが、「押し込まれている?」「動きを止められている?」「制限がかかっている?」「前向きな力を抑制されている?」そうした感覚が薄らいできているような気がしています。皆さんはどうどうですか?
結論からいうと、大いなる目的のために私達は足止めをされ、我を振り返るようにサポートしてもらっていると思っています。正しいかどうかは分かりません。
イメージ的には、この期間は「不必要になったものを手放す」がテーマだったような気がしています。この不用品は各自がそれぞれ違うと思います。
私は、この期間に精神的な変化を迎えました。
一番大きいのは「感謝」ですね。
日々の生活が送れている事への感謝が一番大きいかな?
・コロナ禍の悪影響(経済的・健康的・社会的 自殺や責め立て合い、虐待など)
・世界各地で起こっている様々な災害
見聞きすると胸が潰されそうなものが多い。そんな中でも今はまだこうしてや無事に生活が出来ている。様々なことを分かち合る仲間と呼べる人達がいる。
その為だと思うのですが、日々しあわせだなぁ、恵まれているなぁ、って感じるんです。
例えば、蛇口から水が出てくること、ガスの火が使えること、電気があること、食事がとれること。家庭菜園で野菜を作っているのですが収穫して食べられること。仲のいいご近所さんとアパートの敷地で一緒にお茶をしたり、小さな些細なことに「有難いなぁ」って感じる。ジンワリと胸が熱くなるような幸せ。そして、それを語り合える喜び。そうした人が身近にいて本当に幸せだなぁって、つくづく感じる。
この先、いつどこで何があるか分からないから「今この瞬間」「今日という日」に感謝を感じずにはいられない。
以前はこうした「なんてことない日常」を当たり前だと思っていて、むしろ「退屈だ」とか「つまんない」とか、そんな風に思っていた。だけど今は「それさえも」ありがたいと感じずにはいられない。
コロナ禍の中だからこそ気付けた幸せとありがたさ。
宇宙デビューするにはそれに相応しい、高度な科学技術に相応しい私達でなければならい。だから、そのためにこうして色んなことが起こっているんだと「わたしは」今現在は思っている。こうした出来事の中で様々な自分に出会う。その自分をしっかり見つめて心と折り合いをつける。これまでの価値観や社会に流されるのではなく、心の純度を上げて心と折り合いをつけていく。不要なものが取り除かれた自分になって行っている気がする。年齢的な部分ももちろんあると思うけど。
私は停滞していた期間、自分と向き合ってみて
・強くなくていい
・脳力が無くてもいい
・人の為に頑張らなくていい
・お金持ちじゃなくていい
・生活が充実していなくてもいい
・成功を求めなくていい
・友達が少なくてもいい
・失敗していい
・人から認められなくていい
・人気者じゃなくていい
・理解者がいなくてもいい
・夢や目標がなくてもいい
今の自分でいい
そんな風に思えるようになっているなぁって感じた。
と同時に自分ってすごいなぁ、たくさん成長できているなぁって自負もある。ある意味すごく強くなっている(笑)
今の状態になれている事で、更に楽になったような、より自由になったような気がする。
本当に自分がやりたいこと
それはまだ明確ではないのだけど、いずれそれも明確になって来るかな?
急がずに待つことにしよう
今ってSNSとかで誰でも簡単に身近な人と自分を比べられるじゃないですか?以前は頭では比べちゃダメだって分かっていても、どうしても比べてしまっていた自分が居て、私の方がは優れている、でもさんはがダメだ。と、さんの粗を探すことで、比べた時に失った自信を回復させようとしていた。だからと言ってさんの凄いところを自分でも強化しようとするか?というと、それはしない。
その努力がめんどくさいっていうのもあるけど、そもそも、そのことに興味が無かったりする。嫌なことでも頑張らなきゃならないのかもしれない。でも好きなことや興味があることは、自然とやっている。いやむしろ、めちゃくちゃ強い向かい風が吹いていてもバカみたいに突進していた(笑)
でも、今はこれと言ってやりたいことはないので、引き続きロングバケーションを満喫するかな?心から安心して休めるようになれると良いなぁ。大いなる宇宙の中で全て万全なはずなのに、今は何らかの理由で休んでいい時のはずなのに、有難く受け取ることが出来ない。後ろめたさを感じつつお休みをしている。安らいでいてありがたく深い感謝をもってお休みが出来るようになれたら次の駒に進めるかな?
また、いつも自分の周りには
反面教師
気付きを与えてくれる人
仲間
先生
そうした様々なタイプの人がいると思う。
最近の反面教師からせ学んだ事が有って、とある飲食店で「コロナ否定派」のグループとコロナ肯定派の人達が同席していたのだけど、否定派の人は肯定派に対してあきらかに「敵だ」「愚かな人達だ」的な様子を見せていた。私達は特別なんだ的な空気を醸し出していた。
コロナ肯定派を【健康や幸せ】を願う仲間として認められないんだなぁって心が痛かった。同席している仲なのに・・・。そして私も以前は「陰謀説って部分で」そうだったなぁって「反省」した。もちろん、目の前の人に対してそうした態度はとったりはしなかったけどね。心の中は「陰謀は存在するのに、なんてバカなんだ!」って思っていたから一緒だね。でも、問題はテレビやSNSなどのメディアを操っている人達なんだよね。
似非スピも同じだなぁ、今は過度に似非スピ(産業的・キレイゴトばかり)を崇めている人も減っているっていうのもあって、昔ほど攻撃的な自分は出てこない。でも以前は産業的な部分で華美な装飾がされているのが気に入らなくて、あーだーコーダー文句言っていましたからね。今は言いたいこと言った後だからか?目くじら立てる労力で疲れたくない(笑)。それも一つの学びのステージなんだと思えるようになって来た。私もそういう意味では「学びのステージ」を一つ終えたのかな?
この度、以前の私を反面教師を通じて見て、本当に寂しくて胸が痛かった。心が閉ざされているって醜いんだなぁって、私は何でも知っていて偉いんだ!特別なんだ!っていうトゲトゲした風の吹く鎧を着ている風に見えた。根底には自信の無さがあるんだろうって所まで透けていたけどね。一部の人はQなどの情報に触れたことで、偉くなった感じとか?強くなった感じとか?そうしたモノを味わっていたのかも?
でもその姿では、いくら正しいことを知っていても、言っていても、地球を正しい方向には向けていけないなぁって、つくづく感じた。反面教師というのは本当にありがたい存在ですね。
今は自分の立ち位置やあり方、見つけるようにとサポートしてもらっているって感じをすごく強く受けている。ありがたい。本当にありがたい。
ロングバケーション、平穏な心で味わえるように自分をドンドン解放して行こう
最後まで読んでくれている人がいましたら、お付き合いありがとうございます。深謝。