「おじゃましまーす…」莉乃の声が玄関に響く。

玄関の壁に掛けてあるホワイトボードに親からの
メッセージが書かれていた。

『おかえり。旅行に行ってくるから留守番お願いね』

そういや、旅行行くって言ってたっけ。


リビングを抜け部屋に続く階段を上がり部屋に入る。

部屋からの眺めは四方をバルコニーでグルッと囲み
大きなガラスがはめ込まれている。

北側の窓からは駅が見え、西側の窓からは河川敷が見え、
東側の窓からはお城が見え。

そして、南側からの窓からは莉乃が住む部屋の
バルコニーが見える。


莉乃は「いい眺めだね」西側のバルコニーに出て河川敷を見て言う。

夜風が莉乃の髪の毛を洗うように流れる。

「私の家からは河川敷がこんな風には見えないからさ」


そして、南側のバルコニーへ莉乃の足が進むと立ち止まり言った。

「言ってくれたらよかったのに…」

その言葉の意味がなんであれ、ボクの心は複雑に絡み合っていた。


「言ってくれてたらさ…毎朝、声が届かなくても顔見て言えるじゃん」

『おはよう』ってさ…。


何も言えなかった…。どんな言葉掛けていいのか分からなかった。


その時ボクがはなしたことは、本名と今までのことすべて。


そのすべてを聞く間、莉乃は「うんうん」と頷いていた。


部屋に入り、コーヒーを飲みながら莉乃と初めて会った話をした。

オレンジは莉乃の隣で丸まって寝ていた。


「私は、これからも悠って呼ぶけどいい?」

ボクの目を真っ直ぐに見て言う彼女に、

「いいよ」それだけしか言えなかった。


恋人だからこそ、知っておいてほしいこともあれば

恋人だからこそ、内緒にしておきたいこともあれば

恋人だからこそ…ってのが自分の中にはあったんだ。


でも、それは一時の感情が生んだ過ちだったんだね…。


莉乃の横顔がとても淋しそうにこの時感じた。


この時お互いの間に微妙な空気が流れていた。

その空気を変えた一言が「ねぇ悠。今夜泊まっていってもいい?」

空気が変わるってか、別の緊張感が一気に流れた。


「いやいや、家隣じゃん。何も泊まらなくても…」

張り詰めた緊張の中からの精一杯の反抗も、

「ダメ?」とソファに座るボクの足の間に座り、見上げて言う…。


(反則だぞ…その目は…)

気分を変えようとコンポに入っているMDを変えようとした時、

ボクの背中から彼女の吐息が伝わって来た。


「悠のバーーカ」聞こえた瞬間、ボクは彼女を強く抱きしめた。


河川敷から吹きあがる風がボクらを包んでいた。