エベレットの多世界解釈についての話です。
まあ、知ったのは恋愛ADVゲームのD.C.兇任任垢。
D.C.P.S.で、さくらが名前をだしていたので、少し調べてみました。
簡単にいうと、名前のまんまですが「世界っていっぱいあるよ」という感じです。
並行世界と似たようなものだと思ってもらえるといいかもしれません。
簡単に言いすぎているので、例をあげてちょっと詳しく説明してみます。
例えば、私は今ブログを書いているわけですが、「今、ブログを書いてない自分」がいる世界もあるということです。
他にも、「寝ている自分」・「仕事をしている自分」・「お風呂に入っている自分」、いろんな世界には、いろんな自分がいるわけです。
詳しくなっているかが微妙ですね…。
また、自分だけでなく、いろいろな人がいろいろな状態にいる世界があるわけです。
今このブログを読んでいるあなたは、他の世界ではこのブログを読んでいないかもしれません。
どの状態がどれだけ存在するかは確率によるらしいです。
ありえやすい状態の世界は多く存在し、ありえにくい状態の世界はあまり存在していないということです。
宝くじを1枚買ったとして、それがあたる世界はあまりなくて、あたらない世界が多いということです。
ただ、確率上、あたることはありますから、どこかの世界では宝くじに当たっている自分がいるということです。
と、ここまで書いてきましたが、実際に私達は他の世界を認識することはありません。
あくまで、自分が存在する世界だけを認識して、その中で暮らしています。
一応、エベレットの多世界解釈の概要は、こんな感じになると思います。
ただ、書庫の説明にも書いてありますが、専門的なことを学んでいるわけではなく、あくまで素人がざっと調べた上での、個人的な説明ですので、間違っていたらすいません。
-------------------------------------------------------------
ここから先は、私の疑問です。
「いろんな世界」が存在するということですが、いったいその総数はどれほどなのでしょう?
万物の選択ごとに、その選択肢の数だけ世界が分岐しているとしたら、それこそ無限に世界は分岐します。
選択でなくても、ある「事象が起こる世界」と「起こらない世界」で分岐することもあります。
「宇宙の始まらない世界」・「人類の生まれない世界」・「私の生まれない世界」、それこそ無限にあるでしょう。
世界はどれほどの容量まで分岐できるのか。
そもそも容量はあるのか。
そんな、よくわからない、どうでもいいことを考えている自分です。
-------------------------------------------------------------
こうしてみると、今の自分というものは、ものすごい確率の上にあるんだなとか思います。
そもそも、自分が生まれるまでの下地ができていないこともあるかもしれないのですし。
自分がどこかで死んでしまっている世界も無数にあるのでしょうし。
まあ、他の世界が認識できない(そもそもあるかがわからない)以上、こんなことを考える意味はないのですが。
まあ、知ったのは恋愛ADVゲームのD.C.兇任任垢。
D.C.P.S.で、さくらが名前をだしていたので、少し調べてみました。
簡単にいうと、名前のまんまですが「世界っていっぱいあるよ」という感じです。
並行世界と似たようなものだと思ってもらえるといいかもしれません。
簡単に言いすぎているので、例をあげてちょっと詳しく説明してみます。
例えば、私は今ブログを書いているわけですが、「今、ブログを書いてない自分」がいる世界もあるということです。
他にも、「寝ている自分」・「仕事をしている自分」・「お風呂に入っている自分」、いろんな世界には、いろんな自分がいるわけです。
詳しくなっているかが微妙ですね…。
また、自分だけでなく、いろいろな人がいろいろな状態にいる世界があるわけです。
今このブログを読んでいるあなたは、他の世界ではこのブログを読んでいないかもしれません。
どの状態がどれだけ存在するかは確率によるらしいです。
ありえやすい状態の世界は多く存在し、ありえにくい状態の世界はあまり存在していないということです。
宝くじを1枚買ったとして、それがあたる世界はあまりなくて、あたらない世界が多いということです。
ただ、確率上、あたることはありますから、どこかの世界では宝くじに当たっている自分がいるということです。
と、ここまで書いてきましたが、実際に私達は他の世界を認識することはありません。
あくまで、自分が存在する世界だけを認識して、その中で暮らしています。
一応、エベレットの多世界解釈の概要は、こんな感じになると思います。
ただ、書庫の説明にも書いてありますが、専門的なことを学んでいるわけではなく、あくまで素人がざっと調べた上での、個人的な説明ですので、間違っていたらすいません。
-------------------------------------------------------------
ここから先は、私の疑問です。
「いろんな世界」が存在するということですが、いったいその総数はどれほどなのでしょう?
万物の選択ごとに、その選択肢の数だけ世界が分岐しているとしたら、それこそ無限に世界は分岐します。
選択でなくても、ある「事象が起こる世界」と「起こらない世界」で分岐することもあります。
「宇宙の始まらない世界」・「人類の生まれない世界」・「私の生まれない世界」、それこそ無限にあるでしょう。
世界はどれほどの容量まで分岐できるのか。
そもそも容量はあるのか。
そんな、よくわからない、どうでもいいことを考えている自分です。
-------------------------------------------------------------
こうしてみると、今の自分というものは、ものすごい確率の上にあるんだなとか思います。
そもそも、自分が生まれるまでの下地ができていないこともあるかもしれないのですし。
自分がどこかで死んでしまっている世界も無数にあるのでしょうし。
まあ、他の世界が認識できない(そもそもあるかがわからない)以上、こんなことを考える意味はないのですが。