豆腐

母から「近くにいるのでお昼ごはんでも食べましょう。」と電話。

 

香港の伝統スイーツのお店、糖朝に行き、【木桶入り豆腐花】などを食べる。

できあがりに50分かかりますが宜しいでしょうかと説明を受けた。絹ごしよりもやわらかくて、暖かく、4種類のシロップ(ごま、くるみ、あずき、シロップ)をお好みでつけて食べる。

 
今日は中華を食べながら、毛糸で編んででもらいたいストールの話をした。

母は編み物が上手だ。しかし、私も編み物歴は長い。5歳の時から母に教わり、マフラー・手袋、パッチワークの毛布、敷物、靴下、セーター・・いろいろな作品を編んだ。5歳の頃、私は原因不明の首の病気で、毎日微熱があり、大学病院の特別外来に母と週に1回通っていて、病院の待ち時間に母と一緒に編んでいた。 その光景はとてもほほえましかったようだ。待合室で、「お上手ね。何を編んでるの?」といろいろな人に声をかけられた。それが嬉しかった。そして何よりも診察の後、病院の中の食堂で母と一緒に食べる「カレーライス」が最高に美味しくて楽しい時間だった。

 

難病かもしれない・・と診断されて、半年ほど病院に通ったが、、ある日を境に、治った。熱もなくなり、首も普通にもどり、「あの病気はなんだったんだろう」と今でもこれは母の謎となっている。

 

母はこのブログを読むこともないので、ここだけの話だが、実はあれは仮病だった。 

ちょうどその頃、母と父は離婚でもめていて、父は不在。調停や仕事で母は留守が多かった。たぶん、私は寂しかったのだろう。病気の時と、病院に行く日は母が一緒にいてくれると学習した私は、頻繁に病気になった。不思議なもので、体温計をはさんで、「熱がある」と思うと本当に熱が出た。そして、私の病気のことを話す時は、けんかをせず、父と母は私の方を見ながら心配そうに穏やかだった。


その後、小学校に入り、友だちが出来たとたんに治った。その後は、体育の授業やピアノのレッスンを仮病で休みたくなって、どんなに「熱、出ろ!」と願いながら熱を測っても、本当に熱がでることはなかった。

母と会うのは数年ぶりだ。私が4,5歳の頃、私の目に母は仁王のように大きく、頼もしい存在に見えたのだが、今は驚くほどやせて小さくなり、食べなくなった。