授業のポイントはリズムとテンポだと言われている。
でも、、知っている人はしているが、知らない人は知らない。
これを知っているのか知らないのかでは、授業の質が大きく左右される。
授業を参観していて心地よく感じる授業にであうことがある。そんな授業には、リズムとテンポがある。
直ぐに分かるのはテンポだ。テンポとは、授業を進めるスピードのこと。
ゆっくりやることが子どもに寄り添ういい授業だという方がおられる。私はその考えてに反対だ。
学習者が一人ならかまはないが、学習者が複数いる場合は、難しい。学習するスピードは基本的には、人それぞれだ。
一定のスピード(少し速いと思えるくらい)で進めた方が子どもは伸びていく。でも、中には子どもを無視してがんがん授業を進める教師がいる。
これでは、子どもはついてこれない。独演会は授業ではない。
そこで大切なのがリズムだ。リズムとは強弱。どこに重点を置いた授業をするかが大切になる。時にはスルーも大事。メリハリにきいた授業が大切というだ。
ここまでは、自己研修でも何とかなる。次のレベルは、高段者の腕前だ。それは、変化のある確認作業を数多く取り入れること。
言い放し、やらせっぱなしでは、質の高いと言える授業ではない。
私には、密かな野望がある。
それは、教師修業のネットワークの構築である。
(読者登録3名でよくいうよね。)
このブログをベースに、教師が授業の腕を上げることや子どもを生き生き活動させることに関心がある教育界内外のメンバーで意見や考え、実践を交流するネットワークである。
子育て真っ最中の親御さんも大歓迎。
最近にの教師は「なっていない」と思っておられるベテラン教師やOB教師の方からの辛口コメントも頂きたい。直接言いにくいことでもブログなら言いやすいですよ。
教師の質の低下は、そのまま子どもへの悪影響に繋がります。
教師の仕事は、人育てです。誇りと使命感がないとやっていかないと思うます。
そういう考えが傲慢なんだよ。と思われる方もいるかも知れません。
ごもっともです。でも、教育界今のままではいけないと思うのですが。
(今回は野望ということで大きなことを書いています。)
授業は何が起こるか分からない。
計画通りできないのが当たり前だと思います。
人生でも同じですよね。
日頃から自分を鍛えていないと、いざ鎌倉の時、力が発揮できません。
いざというときこそ、その人の力量が試されますよね。
初めから質を求めると辛い。長続きしない。
まず、ある一定の量が必要だ。その数は、ひとまず、100。
以前、ブログで100のエントリーを目標に頑張っている方がいた。
いつ。100ブログ達成できるか予想もつかないが、細々と持続していきたい。誰との約束でもない。自分自身との約束だ。
駄文で、へたれ日記ですが、いつか質的に転化するかもしれない。
小さな一歩でも、前に進んでいれば、いつかは目標値に到達するはずだ。
斉藤孝先生は次のように述べている。
「物事をうまくやるコツを掴まえる瞬間がある。こうして瞬間は、一定程度の時間、集中力が持続したときに訪れる。その世界に没入しつつ自分のやっていることを鮮明に意識できている時間が、ある程度続いたとき、コツが見出される。」(「『できる人』はどこがちがうか」)
異常な集中力の持続ができる人が天才と呼ばれるのかも。
「声に出して読みたい日本語」等で、有名な明治大学教授の斉藤孝先生は、多くの著書を出している。読んでいて多くの共感する主張がある。
教師修業のテキストとして「『できる人』はどこがちがうのか」(ちくま新書)を推薦したい。
授業においても、達人の授業を見ることが重要であると言われている。
「自分がものを知らないということに気がつくためには、それなりの水準が必要だ。上達するためには、自分がまだ会得していないことに対する予感やビジョンを持つことが重要である。それを思い描いて、それを会得するための練習メニューを立てることができれば、上達は確実性を増す。自分がよくしらないのだという認識をなく、また道へのビジョンを立てる習慣もなければ、やることにロスが多くなり上達はままならなくなる。」
自分は到底かなわないと思えるレベルの授業を観る機会をもつことは、授業の達人になるために、不可欠なことである。
自称名人はいくらでもいる。自称名人ではなく、脱帽するような達人の授業だ。それでも、自分はできないのに批判をする教師も多い。それは、授業のレベルを評価できる力量がないからだ。
達人のレベルを体感して、謙虚になること。これは、どの仕事でも同じことではないだろうか。
何事にも上達するには、基本が大事。
野球なら、キャッチボールに素振り。
サッカーならリフテイング、ドリブル、パス。
基本練習は、単調なことの繰り返しだ。
教師で言えば、教科書を何度も読んで教材研究すること。
音読100回。
全ての言葉を辞書で調べるという修業方法もある。
恐ろしくて実践したことがない。
見開きで100の発問づくり。
放課後教室でその日の子どもの行動を頭の中で再現する。
このような地道な基本練習を何年も繰り返した者が授業の達人になる。
授業は、基本が大事。
身体に染みこみくらいやって、初めて本物になる。
簡単なことは、修業とは呼ばない。
今よりもとっもっと授業が下手だった時、先輩からいろいろアドバイスを受けた。それでもなかなか上手く授業ができなかった。
良い授業とは、いろいろ言えるが、大切なのは向上的変容だ。分からなかったことが分かる。できなかったことができるようになる。やる気がなかったけど、やる気がでてきた。小さな変化でいい。それが積み重なれば大きな成長になる。
実際に先輩が授業を見せてくれた。見ているとたいしたことはないと思っても、実際にやってみるとできない。
まねができるようになるには、多くの時間を要した。
上達するためには、時間がかかる。自然にできるようになるには、さらに時間がかかる。
教師修業は果てしない。
M先生
先日はお世話になりました。
I先生から先生のスキルの凄さはお聞きしていましたが
総ての質問にスパスパと答えられる姿に感動しました。
勝手ながらIT師匠と呼ばせて下さい。弟子入り志願します。
師匠の姿を見て、勉強しなくてはと痛感しました。
パソコンと英語は、21世紀の教師の必須アイテムだと思います。
これからも、ご指導宜しくお願いします。
私は、授業がヘタである。研究授業で終了のチャイムがなっても、授業を続けた。キリのいいところまで続けようとしたが、当時勤務していた校長に
「子どもに迷惑だからやめなさい。」
と言われた。
それから、必死で本の読み、教育雑誌を定期購読して、授業技術の向上に努めた。
公開授業も積極的にするようにした。しかし、なかなかいい授業はできない。
下手な授業の連続だった。教材研究をすればするほど、子どもの表情は曇っていった。あれも言いたい。これもしたいと自分の思いだけの授業であった。
ある日子どもに
「先生の授業はおもしろくない。」
と言われる。ショックのあまり立ちすくんだ。
それから、毎日の授業が苦痛であった。見かねた先輩が
「自分は授業がヘタなんだ。無力なんだという自覚から授業改善は始まるよ。」
と、声をかけて下さった。
それまでの自分は、「授業はヘタです。」
といいながら、これだけ努力してもだめなのは、子どものせいだと決めつけていた。
その日から、自分が受けて知的に面白い授業を心がけた。少しずつではあるが
子どもの笑顔が見えるようになった。
子どもの日記に
「先生の授業、最近面白いね。」
と、書いてくれていた。
涙が出て、とまらなかった。
複式の授業とは、異学年を同じ教室で同時に教えるという授業である。
隣接学年もあれば、飛び学年もある。
私もかつて、5,6年の複式学級の担任をしたことがある。
2冊の教科書をもち、初め5年、途中で6年。そして、また、5年と。目の回るような忙しさの中で授業が進む。
では、5年生を教えている間、6年生は遊んでいるのか。そんなことはない。自力学習に取り組んでいる。同じ教室でちがう学年の授業を耳にしながら、自力学習を進める。それを可能にするのが学び方学習だ。学習の仕方をきちんと身につけていないと、学習が進まない。
学力というものは、一人で学習する力がないと向上しない。
確かに忙しい。授業の準備も2倍かかる。だから、力がつく。
複式の授業とは、人気のある食堂のお昼時と同じようなものだ。多くのことが同時進行で進む。
教師の仕事は、不平不満をいうことだけではない。
(子どもためなら時には必要だ。)
与えられた条件の中で、どれだけ力をつけさせることができるかだ。
厳しい環境での実践は、大変だ。だから、教師も力がつく。
よし、今日も修業だ。