私が選んだスペクトラム支援の名言(その10) | ティーチみやぎの「活動ブログ」|自閉症の子どもの自立支援

ティーチみやぎの「活動ブログ」|自閉症の子どもの自立支援

宮城県仙台市を中心に、ティーチプログラムを活用して自閉症の子どもの自立支援を行っております。アメブロには、日々のティーチみやぎの日々の活動を記録して参ります。

 「私たちがするのは準備すること、支援の大部分は準備の段階で終わっているといっても過言で
 はありません」
  この言葉は同僚の臨床心理士Kさんが言っていたもので、これを支援学級や支援学校の授業に置き換えると「教師がするのは準備すること、授業の大部分は準備の段階で終わっているといっても過言ではありません」と、なるかもしれません。
 私が支援学校の教員をしていた当時、高等部の作業学習で木工、陶芸、紙工、家庭班などがあったが、自閉症の生徒の中にはどの作業班にもなじめず、うろうろしたり、時には混乱してパニックになる子がいた。そこで私は4人の生徒で基礎作業班という新たな班をスタートさせ、作業種にかかわらず彼らができる得意な課題を準備して作業に取り組んでもらったのである。狭い部屋ではあるが、ソファーをおいた休憩場所と作業場所とをはっきり区別し、一人ひとりにスケジュールの使い方を教え、課題の終わりを明確にしたワークシステムで作業するようにしたところ、4人とも安定して作業に取り組むようになった。
 ある時、校内の研究授業で基礎作業班の授業を見てもらった。ある先輩の先生から「この授業は生徒がまるで賽の河原で石を積んでいるようだった」という感想があった。そう授業中には教師である私はほんの少ししかしゃべらず、生徒は黙々と課題をこなし、淡々と休憩をとっていた。授業中たくさんのことを教えるはずの教師が何もしていないように見えたのだ。いったい授業者は何をしていたのか? 実は前日までは事前準備で必死だった。一人ひとりの活動を思い浮かべながらスケジュールや課題を作り、授業を想定しながら一つひとつチェックしていた。先生方が見に来るというサプライズにもいつもの自分の活動ができるようなスケジュールと課題を準備し、生徒同士の動線や休憩タイムの調整などをシュミレーションしていた。だから授業当日は、生徒一人ひとりの活動をただ見守っているだけ・・・。十分な準備をして授業で見守る、これが生徒の自立を促す授業だと、信じているから。
 もちろんこれは自閉症の子どもたちの支援(授業)に限定したもの。定型発達の子どもたちは創造的でサプライズを好む。通常の小中高の教師は十分な教材研究した上、授業では児童生徒とコミュニケーションしながら授業を作り上げていく。創造的な教師と型どおりの授業では満足できない子どもたちが一緒になって授業を作り上げていく、これが授業の醍醐味。
 一方自閉症の子どもたちの場合はどうだろうか? 創造とサプライズは苦手で、分かりやすさと見通し、そしてシステムを好む。だとすれば分かる、できる、見通しが持てる、安心できる慣れ親しめる授業を準備することが、教師の大事な配慮ではないだろうか・・・・