猫の日
シャッ、ガラガラこんばんは、オーナーのセラフです。今年の猫の日はスーパー猫の日。朝、会社の電話を見て、2時22分にこの電話表示を見なくちゃ!!としっかり心に焼き付けたおかげか、(大抵は、忘れて終わってから気付くのだけど)お昼ご飯を終え席に戻って仕事を始め、何気に電話を見たら「2022年2月22日2:22」の表示。やった~「でも、200年後の今日だと2222年2月22日2:22」200年後にこの表示を見るには電話の見られる状態にいないといけない。えっと、いつ生まれ変わっていると良いんだっけ?と思ったけど、200年後に今の電話の形態はないか。。。200年待たずに別の2月22日の2:22の2並びを探すべきか。。。今は、猫と暮らせてないので、(ペット不可の住まいなので)フェースブックのコミュニティーで動画観て、時折コメントなんかしてみて癒されています。また、猫と一緒に暮らしてみたいと思いつつ、今は猫も長生きだからちゃんと看取ってあげられるかを考えるとどうかな~って。。。まあこれも縁かなとも。ウチの子は三毛猫で名前は「論」と言いました。(呼ぶ時はロンのイメージ)私が小学校2年生(8歳)の時に来ました。実家の隣家が米屋さんで、そのせいかどうかわからないけどネズミが実家でも悪さして、ネズミ捕りを設置しても効果なし。その内、座敷にも出てくるようになったのでやはり、猫飼うのが最も効果あるかと。。。うまい具合というか、貰い手を探しているいう方がいて、お見合い?で母と私がお宅に行きました。その頃の私は、犬、猫がちょっと怖くて、誰かがいると何とかそっと触れるかなという感じ。母猫と姉と論。皆、三毛猫。皆三毛猫だけど、柄は全く違う。不思議だな~と思ったのを憶えています。(論が一番美人さん、美猫さんだよ)母猫は、ちょっと離れたところで、私たち母娘を観察しているようでした。(母談)もう1か月位躾をしてから貰い受けるという話になったようで、夏休み直前にお迎えしました。昭和の時代なので、当時の犬・猫はご飯は人の残り物が殆どだったのでは?キャットフード自体もそんなになかったと思います。特別な時に(出産した時とか)買ってきて。いつもはご飯に煮干しを千切って混ぜたり、削り粉を混ぜたり、カツオフレークの缶詰混ぜたり。後は手羽先の残り、焼き魚の残り、煮魚の残りとか。スイカの食べ終わったのとかアイスクリームのカップも舐めていた。後はおかきやせんべい、味付け海苔が好きで、音がすると走ってきて膝に手をかけて頂戴って感じで手をチョイチョイと出して。。。チーズやハム、ちくわも好きでした。今だとあげちゃイケないものばかりだったかも。あとは、家と外を自由に出入りしていたので、時々おみやげ(ねずみ、ヤモリ、鳩など)も持って帰って。。。ちゃんと野性が残っていて狩りもするけど飼い猫なので人間とのコミュニケーションもバッチリ初めはやっぱりちょっと怖くて寝ている時じゃないと撫でられなかったけど、祖母の膝の上でねているのが羨ましくて、少しずつ触ったり話しかけたりしている内に、段々慣れてきて触れるようになったら私が論にべったりになって、怖がっていたのが嘘みたいになりました。論の方も初めは祖母に一番慣れていたけど、その内、「しょうがない、私の面倒みてやるか」って感じで、慣れてきて、寝る時は祖母から私にシフト。超嬉しかった高校卒業するまで一緒に過ごし、大学に行ってからは帰省した時に一緒。私がいない時はご飯を食べに帰るくらいだったらしいです。帰省した時は私のところで寝ていたから、本当に彼女的には面倒を見ている気持ちだったのではと思います。大学3年生の後半、しばらく家に帰ってこなかったそうで、探しても見つからず、そのことを私に言えば心配して何も手につかなくなるかもと母は内緒にしていました。ある日、「ニャー」とどこかから鳴き声がして、どこ?と思ったら二階から降りてきたそうですが、足を引きずっていたそうです。車に引かれて、這う這うの体で何とか家に辿り着き、ひたすら寝ていたのではないかというのが両親の推理でしたが。。。3月に帰省した時は足を引きずっているもののそれ以外は元気そうでしたが、6月に教育実習で帰省した時は、たった3か月でヤケに老け込んだというか、縁側のおばあちゃん的雰囲気になってびっくりしました。(とはいえ、14歳なのでおばあちゃんであることに間違いはないのですが、私にはやっぱり可愛い論です。幾つになってもカワイイ。やっぱりウチの子が一番ってヤツですかね。)その年の夏は例年より暑くて、論もキツそうでした。夏の疲れが出たのか、9月に亡くなったそうです。亡くなった時は私は大学の方に戻っていたので、いわゆる死に目には会っていません。猫は亡くなる時は姿を隠すと聞きますが、論もどこか行こうとしていたらしいのですが、母が家に連れ帰ったそうで、そのまま家で亡くなったそうです。論が亡くなって、またネズミが悪さし始めたようで、「また、猫飼おうよ」と言ったら、母は「もう生き物が死ぬのは見たくない。それに、あの猫が一番。論以上の猫はいない。新しい猫を飼ったら論が気分を悪くするし、化けてでるかも。。」ということで、それ以来猫のいない生活です。化け猫でも良いから、論がまた来てくれるなら、それも良いかなんて思ったりもして。。。あの当時としては14年生きたので家と外と行き来している割には長生きだったかもと思います。私が家を出なければ、夜も家にいて論はもっと長生きしたかもと思うと、唯一、家を出て後悔したことです。論が亡くなってからの方が長くもう30年以上経ちますが、未だに忘れることはありません。難を逃れた時は論が助けてくれた、ちょっと良いことがあると論のおかげと思うので。上に書いたように、縁があれば、(例えば論そっくりな猫に会うとか)また一緒に暮らしたいとは思うけど、それには、体力と財力が必要ですね。昭和の飼い方はできませんから論のことを思う時、論と論姉は母だけのつながりかそれとも論パパも同じで正真正銘の姉妹なのか。それを知っているのは論ママだけか。すっげー気になる論は「あんた、本っ当にロクな事しか考えないね」と言っているかも。では、今日はこの辺で。。。またね閉店、ガラガラピシャッ!