内田正利は・真犯人佐々木詳元の代わりに、平成12年11月17日に不法逮捕され、大阪刑務所に通算6年3ヶ月間も懲役という大儀名文で監禁され、
当時の私は予測も推測も出来ずの監禁中に、個人所有財産・資産・現金を他人に奪われ,自分の運命が変わる重要の原因が愛知県警生経課所属日沖性平警部補の主導にて逮捕監禁され,重大な影響を及ぼし、多額の財物を侵奪され、
損害が発生した。
当時監禁された私は、財物や現金を他人に奪われたが、現在残った財物は信用ができる知人が保管している動産であり、
中国からの輸入品で、バブルが弾けた時に購入した物であり、景徳鎮・翡翠・骨董品の多数は、現在保管された侭に成ってる事が唯一の救いでもある。
遡ると、
平成元年頃、日本全国でバブル絶好調に、住宅関連事業売買の不動産業が湧き上がっていた時期に、自己経営の不動産事業は近い内に破綻する時期が来ると認識から、平成2年頃バブルが弾ける以前に、自己で経営の不動産事業を休止・廃業する為に、法人と個人で多数保有していた不動産を売却し金が貯まった。
其の時に多額の現金を残したが、バブル原因の不動産総量規制で融資を中止した取引銀行に、如何なる事情で信用を落としても、絶対に現金は返済せずに、平成2年から3年に掛け、自己のタンス預金で現金を貯め保有していた。
その後知人を介し中国人の通訳と共に、中国景徳鎮市内に行き、李訥(リートツ)女性49歳と知り合い、中国の景徳鎮ミヤンマー産翡翠の普賢菩薩像等の宝庫を見学で検討し、中国市場の相場より安い値段で購入することを決めて、輸入した私は日本のビジネス販売を考えていたのである。
その当時の中国は、貧困状態から日本の円の外貨獲得の為に、中国人李訥と主人の王景清が、私に宝庫を売却するとして景徳鎮・ミヤンマー産・翡翠他を私に売却すると、中国には、1つも宝庫の在庫物が無くなり、それを私に譲り価値が上がるものを販売するというのであり、それなら私は、購入しても損害を被らないと言う認識で、バブル破たん前に不動産を売却したお金で購入したものが景徳鎮・翡翠他で有り、当時、其の売買の相手王景清と李訥と言う女性であり、当時李訥女性と合った時、何処の叔母さんかな?と思っていたが、
当時の私は李訥と言う女性と王景清が夫婦とは知らず、後で判明したのが、驚きで、李訥という女性は1940年生まれで現在70歳であるが、中華人民共和国の政治家毛沢東と江青の間に生まれた一人娘が李訥(リートツ)当時は49歳の女性であった。
その後私は調べると、李訥女性は1959年に北京大学に入学し歴史学を学び1965年に卒業して、文化革命中に北京市平谷県党委員会第一書記になり北京市党委員会第二書記を歴任し1970年に初期に結婚し一子を授けたが離婚し、再婚したのが王景清である。
遡ると、
毛沢東が他界してから江青が失脚した後は、李訥と言う娘本人も失脚し、
苦しい生活を送ることになったが、その後李訥は党中央弁公庁秘書部に職を得て、1985年に劉少奇の元警護官だった王景清と再婚して、
2003年には、全国政治協商委員会委員となり、当時の私は中国との輸入の仕事で李訥と知り合い大物とはしらなかった。
李訥と王景清は、毛沢東と江青の意思を継ぎ、母親江青が大事に保管していた景徳鎮・ミヤンマー産・翡翠の普賢菩薩像・他の多数を、李訥と王景清から平成3年に冤罪の正は中国から輸入して購入し知人が保管していた。
最近に私は中国の通訳から歴史を調べて聴いて視ると、
李訥と再婚した王景清とは、劉 少奇の警護官であり、その刘少奇とは、中華人民共和国の政治家であり、凱豊や胡服などといった別名も使用していて、第2代、中華人民共和国主席などを務め、中国共産党での序列は、毛沢東に次ぐ
第2位の地位であったが、文化大革命の中で失脚、非業の死をとげた。
当時、私が知り合う、元警護官だった王景清と李訥が再婚したのが2003年で有り、其の時には、全国政治協商委員会委員となって、2008年の四川大地震の際には異母姉の李敏と連名で被災地に10万元を送った夫婦であった。
遡り、説明をすると
刘少奇は、中華人民共和国の政治家、元の名は張叔平、又は張紹卿、趙容・中国共産党中央委員の副主席に出世した重要人物の一人であり、
その刘少奇とは、中国共産党の最高指導機関、中央共産党全国代表大会の中国共産党の(党大会)によって選出され閉会期間中は、党大会を代行して党を
指導する重要人物の一人でもあつた。
略称は、内部人民委員部など経て、ソ連滞在中にソビエト連邦ヨシフ・スターリン政権下で、刑事警察・秘密警察、国境警察・諜報機関を統括していた国家機関から「反革命分子」に対する拷問・処刑を学び帰国後、中国共産党の情報機関の責任者となり毛沢東の片腕として強大な警察権力を行使し大量粛清にかかわり、中国のジェルジンスキー貴族階級出身の革命家で、後にソ連邦の政治家に転じた。その革命直後の混乱期において、誕生間もない秘密警察を指揮し、その冷厳な行動から「鉄人」「労働者の騎士」「革命の剣」などの異名で呼ばれていた重要人物の一人でもあり、中華人民共和国
の軍人中国人民解放軍の上将公安部長・国務院副総理等を歴任し、文化大革命中に、林彪、江青等に加担した重要人物の一人でもあり、死後、党から除籍されたが、謝富治らを使って多くの人物を冤罪に落しめ、張春橋は、中華人民共和国の政治家四人組と称する中の大物の一人であり、国務院副総理を務めた。文化大革命で失脚した
刘少奇に代わって、毛沢東の後継者に江青は指名されるが、
失脚後の10全大会以降は文化大革命の主導権を握るが、
表むきの河青は、毛沢東の忠実な部下を装い刘少奇夫人の中華人民共和国の
政治家、物理学者・元・全国政治協商会議常務委員を失脚させたり、
周恩来の養女で孫炳文を死に至らしめた毛沢東の4番目の妻である江青は、
個人的に伝統芸能を好み伝統芸能の打破を積極的に進めていた。
その本人自身は景徳鎮・陶磁器・中国系のミャンマー産の翡翠を沢山集収し
宝庫にしていたのは、中華人民共和国江西省東北部に位置する地級市は、
古来より陶磁器の生産地として有名で、国家歴史文化名城に
指定された宝庫などを愛し熱心に収集したミヤンマー産翡翠・普賢菩薩・布袋和尚と景徳鎮を日本がバブル時期の私に売却をする意思を継いで、毛沢東の4番目の妻・河青と毛沢東の宝庫財産を全て売却する意思表示が、
河青の一人娘李訥が、全国政治協商委員会委員の主人王景清の為に宝庫を手離したのは、中国人の貧困の為に、外貨の獲得資金であった事が証明した。