夫と二人で夕ごはんを食べながら、
息子たちのことについて話していた。
これからのこと。
漠然とした普通と比べたり
そっちに戻そうとする努力でなく、
彼らの性質、個性を
もっともっと理解するほうに努めて、
彼らが生きやすい道の模索を
応援したいね、
と話していた。
夫は優しく物静かな人で、
息子たちの今を穏やかに見守る。
不登校当初はその優しさが
男の子二人が暴れたときの
あだになっていると、
私は夫の性質を憎んだりもした。
その優しさが
大嫌いになった。
しかし今やはり、
彼らの父親が
夫でよかったと私は思う。
塩対応の息子たちはどう思っているか
わからないけれど。
穏やかに話を聞いてくれる父親であることに
私は感謝している。
全然話を聞かなくて
全く話の通じない父親を持つ私は、
好き勝手やってもオヤジにしばかれない
息子たちが心底うらやましいが、
そんな私の生い立ちは
息子たちには関係ないから
私はひそかに、君達いいなと思っているだけ。
父は、私たち夫婦が甘いと言った。
私は私で、もうしつけとか、
厳しくしたらどうこうという
段階ではないと思っている。
父世代が想像する以上の難しさが
今の不登校にはある。
私が無自覚に苦しんだ
父の数々の思想と決別して、
私は私たちで、これからの子供と
どう生きるかを模索したいから、
父とは距離をとっている。
そしてそれは
はからずも訪れた
私に必要な、遅れてきた反抗期であり、
人生でやり残したことを
親と私は不器用にも遅まきながら回収している。
息子の不登校は
私の生きにくさに風穴を開けて、
こうでもしなければ向き合わなかった
数々の事柄と対峙させた出来事でもあって、
めっちゃ疲れる。
しかし今日も
幸せを数えて暮らせたからよしとして。
何事もなく穏やかな日常であることに
一番幸せを感じる。
すべてがただたた
安寧であってほしい。
