生活メモ)
10日(金曜)帰宅したら、家の玄関前に・・・段ボール4つ。
久しぶりに、大家さんのお母さん宛ての段ボールが積まれていた。
うちの前庭の、車庫を改造した小さなフラットに大家さんのお母さん(90歳)が
住んでいる(滞在している)。もともとは、私たちが今住んでいるこの家は彼女の
家だったのだけど、どの家にもあるように世代は変わり、晩年、大家のお母さんは
南の方に移り住んで一人で暮らしていた。~ある程度の近距離に、大家さんの姉が
暮らしていることを後で知った=何かあれば、駆け付けるのがその姉~
しかし、転んで骨折、手術あれこれの結果、大家さんがお母さん(Gさんとする)を
自分の住む・ここストックホルムのある地域の病院に転院させ、再度手術、その退院後、うちの前のフラットで暮らしているというわけ。
リハビリ・ナーシングホームもあるようだが、そこよりもこちらを選んだ。
とはいえ、一日に7回、介護ヘルパーがやってくる。
介護は、ソーシャルワーカーの仕事。
大家さんやその家族もやってくるけれど、付き添いとか介護のためではなく、
(前にも書いたが)話し相手や普通に世話をするため。
その上、紙おむつや栄養剤(液体?)のようなものは、当人や家族が頼みもしない
のに無料で配達される。
この配達される荷物、段ボールが、我が家の玄関に置かれる・・・のだ。
なぜか? 住所が一緒だから・・・そして、パット見た目、うちの玄関が
一番、通りから見やすく、、、置きやすい(入りやすい)。
Gさん宛てのものだけでなく、うちのお二階さん(我が家とは別に、外から建物に
アクセスする玄関がある)宛の物、下の階の若者宛の物も、うちの玄関に
置きっぱなし(配達しました結果のことは、アプリで送り主や受取人側に連絡が
届くシステムのようだ)。
私が在宅中なら、ピンポーンと鳴って、玄関に出て行って、「うちじゃなくて、
あっち・(二階、階下、ガレージ脇)です」と伝えることはできるが、
留守中だと・・・そのまま置かれてしまう。
ここしばらく配達間違いはなかったのだが、また…久しぶりに、荷物がどーん。
これまで、大きな段ボールを抱えて何往復しただろう???
まあ、これくらいの隣人サポートは別に苦ではない。
Gさんが、「ああ、また、そっちへいったのね。ごめんなさいね。」と
いつも何度も、謝る。
Gさん、今は、車椅子生活。
私は、玄関ドアを開けてもらって、段ボールを運び入れて、
「大丈夫、たいして重くないから。問題ないわよ」と答える。
その繰り返し・・・。
幸いなのは、Gさんが私と英語で話ができること
(私はこの国の言葉を話せないので)。
~介護に来るヘルパーさんの中には、英語のできない人もいる。
うちの玄関にやってきて(ピンポーン)「Gさん、いますか?」と・・・
荷物だけじゃなく、ヘルパーさんもうちの玄関を目指してくる人が何人も。
英語が通じても通じなくても、家の前側にあるフラットを指さして、
「ああ、この人、Gさんがいるのはあちらですよ、あの建物」。
金曜は私が留守だったので、置かれたままだった。
帰宅したのは5時くらいだったけど、周囲は真っ暗。
天気予報だと雨っぽい日が続くわけで、置きっぱなしにしておけない。
Gさんのところに運び込んだら
「ああ、ごめんなさいね。中身は何かしら?(何も頼んだ覚えはないという
こと)」というので、
「誰か、もうすぐ来る予定は(時間ですか?)?、Lさん(大家)が来たら、
開けてもらえますね」と聞いてみたら、
「ここにいればね。あの子(大家)は、今、スペインじゃないかしら・・」と。
私は、「あ、そうなんですね~(もう、驚かないとはいえ)笑ってしまう)」。
数日前、うちの庭周りの冬支度をしていた大家さん、
それを終えてホリディ(旅行)に行ったのね。
大家さんは、夏はヨット、~電話が通じないような外洋に出て行く。
冬はスキー(国内ではなく、スイス、イタリア、オーストリアにも)、
合間に、スペイン(マヨルカ島?)にもよく行く。
大家業として、柵のペンキ塗りやグリーンハウス建てたり(業者)、
ちょっとした修理や庭のテーブル、いすを出したり閉まったり、あれこれ
こまめだ。
この国の人やシステムを冷たいと評する人もいるけれど、これが”福祉社会”
(※)のなせるわざで、高福祉の一端であることは間違いない。
親の介護をしなくてはならないから、旅行にも出られない、、、そう言う話は、
この国ではありえないわけだ。
Gさんも、足が不自由になってしまったことは別として、時折、子供や孫が
尋ねてくれる程度でハッピーそうだし(早く南の自分の家に帰りたいというけれ
ど、大家さん曰く、あと数か月、ここでリハビリ予定らしい。一人暮らしは難し
いのかもしれない)、大家さんも、身体が不自由な親がいても自分のホリディは
満喫する、、、。
双方がハッピーなら、他国の人間があれこれ批判する必要はないだろう・・・。
私が、段ボールを運ぶくらいは、ご近所づきあい、持ちつ持たれつの範囲だ。
それで社会がうまくいくなら(自分の親の面倒をみないなんて冷たいと、どこぞ
の国では言われそうだが)それでもいいんじゃないかと思う。
それに、私自身、自分の親が日本の実家(今は妹のところだけれど)・地元で、
ご近所さんやヘルパーさん、親戚に助けてもらって一人暮らしをしていたと
思えば、Gさん宛ての荷物を届けるくらい、ご近所として当たり前のこと。
せめてもの恩返し。
私が自分の親にできない分、廻りまわって、”情けは人の為ならず”、、、
そう感じている。
~ 了 ~
読んでくださってありがとうございます。
メモと思いながら、長々書いてしまいました。
この地を離れた時に思い出す時用の、生活メモ(⇧)です。
大家さんは、63歳だったかな、、、去年の夏、再婚した。
現在、大家さんは”大家業”だけだけれど(これまで二度、自分で事業をしてい
たが、二つ目の会社も売って、それ以後は?)、再婚相手のCさんは、現役で
何か仕事をしているらしい(会ったことはない。彼らが住んでいるのは、Cさん
の家で、車で20分ほど北に行った地域)。
そのCさんも、息子が30歳くらいで、孫が昨年秋、生まれたくらいなので、
ほぼ私たちと同じ世代。
老後の心配をせずに、収入は休暇、旅行、趣味などにつかえる、、、国。
高福祉(至れり尽くせりの老人ホームがあるとかの高級・高額)ではないけれど、
広福祉(国民誰もが一定の恩恵を受けることのできる)のこの国、、、。
お二階の家族(子供二人は小学校低学年)、裏庭の向こうのPさん家族の
ホリディや週末の使い方を含め、我が家の周辺の、Gさんと大家さんを見て、
いろいろ学ばせてもらっている。
(※)介護の必要な親(家族)がいても、それは社会の介護者(ヘルパー)に
任せ、自分たちは変わらずに旅行にでたりする(その生活を犠牲にするという
考えはない)のは、普通のようだ。
子供を預けて、仕事ができるように。親(老親)の面倒を見ることの心配をせずに
仕事ができ、生活も充実させられるように、それが、数十年前の、この国の福祉の
男女平等・女性も社会に出す(男女、移民もみんなで働いて税金を納める)ことの
根底にあったそうだ。
育児や老親の介護は、世界のどこでも”女性の負担”となることが多い。
そこから女性を解放する、仕事してもらう、税金を納めてもらう=そのための、
社会福祉~ 保育園、育児休暇、介護福祉。
(メモおしまい)