暑いといっても、日光が当たる暑さというより空気がもわっとする、

しかも湿気を含んだ不快な暑さは、熱中症ほどでないとしても、

頭が痛くなったり、疲労感が増したりする。

 

氷河期が来るというのも困るけれど、現状では、氷河期よりは

温暖化が問題だ。

 

それを少しでも緩和というか、温暖化を抑えられないか?

少しでも快適さを増すにはどうしたらいいのか? 毎日のように考える。

 

私は科学者でもないし気象のことも地球の構造のことも専門ではないけど、

温暖化対策の話や自分なりのこれまでの体験を踏まえれば、解ることもある。

例えば、町にコンクリートの面積が増えるより、木々のある公園が増える方が

地球も喜ぶのではないか? きっとそうだよなーって思ったりする。

 

南米大陸のアマゾン熱帯雨林がどんどん木が切り倒され、

(アマゾンが地球の酸素が作られることに大きな影響を持っていることは

かなり前から、すでに知られていること)

〜経済的にそれを支持する動きがあることも承知しているが〜

自然破壊、他の生物の生存を脅かしていること等は、大問題だと思う。

 

木を切らずに別の方法の経済的発展を考えるー、

たとえ切ったとしても、それならばそれを補う分の木々をどこかで植える、くらいの

未来を見ての対策を立ててから伐採するべきだ。

目先の利益のため、短絡的な方法で自然破壊(一度壊れたら、戻すのは容易ではない

〜 切ることは数時間でも、育つのは数十年かかるのだから、、、) を見過ごすような

決断はやめて欲しい。

日本でも、郊外の田畑や野原、雑木林が切られ整地され、商業施設や住宅(高層の

集合住宅)が建てられ、駐車場も整備(この分もコンクリートだ) される工事が、

至る所でみられる。

が、集合住宅を建てるなら、そこの戸数分だけ周囲に木を植える〜

大きく育つように少し間隔を開けて背の低い植物を植える〜 季節によって咲く花が移って行くのも面白いと思う。

そこへのアクセス〜 道路にも木を植える〜 道路の幅と同じ以上の幅を木立もしくは

低木を植えて、日陰を作れるようにする。

〜そうすることで道路のアスファルトからの地表の熱も木陰/植物の葉で少し

遮られる。

集合住宅地やショッピングモール/商業施設には、そこに隣接する様に

同等の面積の公園を設置する。公園ほどの設備でないとしても、木を植えて、

ベンチを置くだけでもいいと思う。

とにかく、公園とはいっても、大きな木の一本もない、コンクリート敷きの、

て鉄製/セメント作りの遊具が置かれているだけでは、涼しくもないし、

環境にプラになると思えない。

遊ぶ子供だって、暑すぎて遊びにくいし同伴する親も過ごしにくい。

 

周囲に大きな木々ある広い芝生の公園というならともかく、日比谷公園の

ようなそんな贅沢な敷地は、そこそこ作れないだろうから、せめて木立のある、

木陰にベンチのある&コンクリート敷きではなくて草、土の見える公園、

そういう場所を、商業施設や集合住宅地に作るべきだ。

 

そうやって、人工的建物と木々の両方を合わせて考える〜 建設計画を

建てて欲しいーー それだけでも周辺の気温は下げられると私は思うんだけどな。

 

でも、商業施設や集合住宅を建てるだけ建てても、そして、見かけがいいように、

そこにちょろっと芝生が足下にあるような、数本の木々が入り口に植えられている程度の

様相しか「設定」されないー それなのに緑のある〜とか環境に配慮なんていう謳い文句をつけて宣伝する、、、それが日本の現状だ。

 

日本人は集団行動が得意とか言われるけれど、それは、協調性/調和を重んじるという

こととは限らない。

街や住宅街、私たちを取り巻く住環境の全体のバランス、景観や(温暖化対策や環境

保護を念頭においた) 環境、隣り合う周辺との調和(高さ、色、材質、看板等) を

考えて建設されているとは、どうみても、思えない、、、そういう施設や集合住宅、

オフィスビルばかりだ。

 

経済的な高効果、人目を引くこと、最新式だの斬新だとか注目されること、

利便性などばかりが、重要視され優先されて、周辺との調和や環境保護なんてことは二の次なのではないだろうか?

 

アマゾン熱帯雨林の心配をするだけじゃなく、日本国内の住環境の問題(改善点)も

考える必要はある、、、と私は思う。

 

 

※ もし、あなたにとって、経済の方が自然環境より大事だと言うなら、

“お金を数える間、息を止めて(例えば、鼻をつまむとか) みたらいい〜

通帳の残高をチェックする間、コンビニで支払いをする間、預金額をチェック

する間、など〜 。

 

= 息ができなければ、お金があっても、生きていけないってこと= 

私たちを取り巻く大気、空気、地表から空まで、それがどれだけ私たちの健康や

快適に生きるための環境に重要であるか。

 

ゲリラ豪雨もそうだけど、近年の豪雨による川の氾濫、水害、その類の原因も、

人間の便利さに合わせて山や森を切り崩してきたツケがきたんじゃないのか?

水源確保のためのダムを作ったり、昔からの大雨による被害や、流れを変えたことで

生じる問題への対策として砂防ダムを作ったとしても、自然(山、森 本来の営みを

大きく崩してしまっていたら、不具合が生じるのは、時間のある問題だよなあとも

思うし。

都心にあんなに高層ビルを建てて、内陸にあたる地域に何の影響も与えないわけがない。

 

ゲリラ豪雨も、水害も、単なる自然災害〜 異常気象による災害ではなく、

自然環境をよくよく考えてこなかった人間の欲が引き起こしたアンバランスな結果の

災害だと、私は思う。

 

雑草だってありがたい。

私たちに酸素を与えてくれる。

 

住宅やデパート、学校等、とにかく箱物を建てるなら、同等くらいの木も植えるべし、

20 年後を考えるべし、と近年、特に私は思うのです。

 

 

〜了〜 

 

PS

同じ理由で、私は空や大気を汚す、ミサイル〜ロケット発射、実験や、

ブルーインパルスのようなものや、海中の爆発をともばpなう実験や資源・

油田開発等も軽減すべきだと思っている。

それらがなくても、私たちは生きていけるし、地球は困らない。

困るのは、それらで儲けようと思っている人たちだけだ。

武器(防衛のいう名の)や宇宙開発然り。

武器や宇宙開発、それらに巨額を費やすより、海をきれいにするには? 

空気をきれいにするには?

山を元気にして木々/水が枯れないようのするには? できるだけ氷河が溶けない

ようにするには?、、、つまりは、戦争/領土を争ったり資源を争ったりするより、

自然環境保護、住環境改善に予算と視線を向けるべきではないのか? 

 

たとえ月に宇宙船で行けるようになっても、地球で安心して快適に住めなきゃ、

意味がない、、というか、それって、もう優先順位、間違っているでしょう?

 

ーお終いー