イスラエルで、宗教、信仰に熱心な人(超正統派)たちが、自粛等に協力しないため、感染
拡大の対策が妨げられているというニュースを見た。
例えば、トランプ大統領、クリスチャンで、それなりに信仰には熱心なのだろう。
でも、米国国内の医療制度や福祉などにはたいした関心を示さないというか、改良するつも
りは無いらしい。
「みな、神の子」なら、助けてあげるべきなのでは?なんて単純には思えないのだろうか。
人って、、、
宗教、その信仰ゆえに、生きているのか? その信仰の定めにそって、「善い行い」をする
のか?
その信仰がなければ、「善い行い」はしないのか?
助け合ったり、他人に手を差し伸べたり、親切にしたり、お互い協力して何かを成し遂げたり、
他人の身になって考えて住みよい社会を作る、、、
~ これって、宗教や信仰がなければ、できないことなのか? いや、あったら、逆に「信仰」
にこだわってしまい、できないのだろうか?
住みやすい社会、お互いが安心して逝き続けられる福祉の整った社会、お互い相手を尊重
して、理解しあおうと歩み寄って・・・そういう社会を作るために、その信仰は、何の役に立っ
ているのだろう?
※いがみ合うより、理解し合って受け入れ合う、助け合う方が良い社会だって、おそらく全
世界の誰もがYESっていうよね?
それなのに・・・
宗教に関わらず、安全で、住みやすい町、国を作ろうとは思わないのか? 、
~そこに具体的にこういうのがいい国です、安全な国ですって書いてない限り、それに従お
うとか、考えて作ろう、築こうとは思わないのか?
信仰ゆえに、他者を傷つけていいのか?
信仰ゆえに、他者が困ることを承知で、自分のやり方を通すことが「善い行い」なのか?
信仰ゆえに、その信者ではない人を虐げたり、別の信仰を持つ人を迫害することが、
神の御心に沿うというのか?
・・・ いや、(ある宗教の場合)神は単に、攻撃されたら、それに抵抗しても好い、と言った
だけで、攻撃されてもいないのに、別の信仰を持つ人たちを征服して、従わせたり、同じ
信仰を持たない人たちと交わることを禁じたり、他の人たちを迫害したりすることが良いとは
言っていないし、そうせよとも言っていない。
人は、信仰があるあら、善行を行い、良い人であろうとするのか?
信仰がなければ、人は他人に親切にできないのか? 助け合えないのか?
バイブルに、「誰でも(無料くらい安く)適切な治療が受けられる医療制度を作りなさい」と
書いてなければそういう政策はとる必要がないというのか?
信仰の教えの中に、「他人と争うより、協調、協力、共生を目指して、理解しようと、歩み
寄りなさい」となければ、それを目指さなくていいというのか?
政治的意図、多数派の志向、大きなものが強い、そんな一部の人たちにとって「便利」で
都合の良い社会づくりのために、弱者を追いやってもよいというのか?
そうじゃないと思う。
信仰よりも、自分で考え、よりよい社会、他者と協力・共生し、よりよい他人との関係を
築こうとする方が、尊いのでは?
きっと、その方が、天国の扉は、すっと開く、、、神の御心ってそういうものだ、私はそう思う。
~了~