先週末、ラジオを聴いていて、久しぶりに、目からうろこというか、
認識を新たにしたこと、それは、「先」(さき)ということば。
先生、とか、
先ほど、先手を打つ、とか、先刻、先回、とか・・・。
先というと、未来のことか?と感じるけれど、
よくよく見ると、先日も、先刻も、先生だtって、過去のことを指している。
先生ってのは、先を生きる人だから、自分より年上(年寄り、すでに亡くなった師匠とか?)だったりする。
「先」っていうのは、未来のことを指したことばではなかった・・・って。
そう言わればそうだよな~って。
時々、言葉について省みるって大事だなと思った。
そうそう、だからね、近年はやっているコンビニやレストランのレジなどで
「よろしかったでしょうか?」という聞き方、違和感がある・・・できれば、辞めてほしい。
例えば、すでに何かを送ったりして、それについて内容確認の時に「間違いはありませんでしたか? このようなものでよろしかったでしょうか?」と、過去の行いについて尋ねるならまだしも、
今、目の前で、商品を詰めたり、注文を繰り返す時に、「よろしかったでしょうか?」は、オカシイ。 目の前で、今のことを確認するのだから、「(これで)よろしいでしょうか?」であるべきだ。
「~してもらっていいですか?」 も違和感がある。
タレントが使うようになって、ドラマのセリフなどでも、敬語っぽく、丁寧に言うつもりのことばと
して、広まったのだろうか、と思うけれど、なぜ、「~していただけますか?」といえなのだろうか?
~してもらう、って、丁寧に言っているつもりかもしれないが、決して、丁寧ではない。
「~してもらっていいですか?」ではなく、{~していただけませんか?」だろうな。
~してもらう、って、、、そもそも敬語表現ではない・・・。
ついでにもう一つ、、、
「私的には~」という言い方。
なぜ、「私としては、」と言えないのだろうか?
たとえば、「私的(してき)な集まりで~」「私的(してき)な用事」という言い方はあるが、
それは、公に対して、プライベートという意味。
一方の、
「私的(わたしてき)には、それより、こっちの方が好みです~」というのは、
聴いていて違和感を感じる。
「私なら、こちらにしたいです」とか、「私としては、このように考えます」とか、そういえばいいのに。
最近、「~的」が増えている気がするが、そもそもの「わたしてきには・・・」という言い方、
誰かが使い始めて、それを聴いた人が、いいなって思って、使うのが広まったのかもしれないが、たとえ有名なスポーツ選手やタレントがテレビで発していても、その言い方に違和感を
感じることは否めない。
ついでが長くなってしまった・・・。
でも、長い間、感じてきたことだから、ま、いいか。
書いておく。
先々のことを考えたら・・・・今(そのうち過去になる、「今」)、自分たちがどうあるべきか、
何をどうするか、何をしておいたらいいのか、言葉遣いも含めて、ちゃんと意識しておきたい。
先っぽ・・・先端・・・行き先・・・、過去ではなく、一番前、未来っぽいけれど、
そもそもの言葉の意味=「位置的に前の方」と捉えると、
前ってことは、目の前ではなく、「前の話」ってつまりは過去なんだよね。
で、一番先=はじめ、にするから、結局、過去になるんだな、って、分ったような分からないような。
言葉って不思議だ・・・。
~了~