生きがい、、、
人と人をつなぐこと、案外、これが私の生きがいなのかも。
私は、あまり友達多い方じゃない、
っていうか、少ない。
人と集まるのは、嫌じゃないけど、ワイワイ騒ぐのは苦手。
でも、友達をつなぐのは、好き。
友だちをつなぐってのは、変な言いかたか・・・な。
誰かと誰かが知り合ったり、交流したり、そういうのを
手助けするのは、案外、好きというか、役に立つなら助けたい。
生きがいって程じゃないかもしれないけど、
あえて、これを趣味にするとか、そういうものではないけれど、
今朝、日本の知り合いと南アの知り合いが、なかなかお互いに
やりとりできないところ、(私が返信を書いたり受けたり)
一報入れておきましょうか、と申し出たら、すごく喜ばれて、、
ああ、私って、こういう立ち位置にいること、多いかも、、、と
思い立った。
南アでも、あるグループの立ち上げをして、知らなかった人同士が
知り合って、友達ができたり生活に張りを持たせることができるよう
になって、好かったな、と思うし。。。
趣味とか、好きでするってわけじゃないけど、そういう人と人が
繋がることに貢献できる場合、案外、それが私の喜びだったりするのかな、と。
ま、お見合いをアレンジするおばちゃんというほどではないけれど、
自然に、私の知り合いと知り合いがつながったり、
何か、私が、誰かと誰かの連絡をとれるように役に立てたり、
そういうことが、できたとしたら、嬉しい、その程度だけどね。
メモ:
何かを頼まれたり、求められたり、尋ねられたりした時に、
はっきりノーと言わないまでも、話をなんとなく続けながら、
どこか(頭か心か)で、言い訳を考える時、断る理由を考えてるとき、
すぐわかるよね、それって、ノーなんだよ。
NHKの「あさいち」で、断り上手になるには、なんていうテーマの時が
あったけど、人間関係を悪くしないようにしながら、うまく断るには?って。
そうなのよね、「その後のつきあい」(含:子供の交友関係など)を
踏まえると、断りづらいってこと、よくある。
でも、この「脳内探し物」をしている時って、会話の相手からの
申し出を断ろう、もしくは、嫌だなと思っている証拠。
断るにしろ、とりあえず受けるにしろ、少なくとも、自分が本当は、嫌だと
思っている、ノーなんだ、っていうことを自覚することは必要だ。
私の場合、そういう断りたい、ってことが判明しているものは
言い訳を探してでも、断る方が、後の精神衛生上、好いって思う。
しょうがないな、って妥協(受け入れ)できればいいけれど、
あれこれ自問自答を一日以上続けて、断る理由を考えてるってことは、
やっぱり「ノー」なんだよね。
自分に言い訳するのって、確かにいい気分じゃないけれど、
でも、理由を脳内捜索しているのは、自分が、それを避けたいって
思っている証拠だからね。