昨年起こった福島原発事故に関して、日本に住む欧州出身の外国人の方と話す機会があった。原発事故への対応について、日本人と外国人の考え方の違いが興味深かったので記事にしてみた。

日本に足かけ五年以上住み、日本で働いているAさん(仮名)は、昨年の東日本大震災が発生した当時、日本人の恋人と都内で暮らしていた。

福島第一原発一号機と三号機が爆発し、いつ次の爆発が起きて首都圏に放射能汚染の危険が及ぶか分からない日々が続いた。

しかし、首都圏で働く人々は、節電の影響で電車の本数が減るなどあったが、普段通り出勤して、地方や国外に避難する人は少なかった。自分の知ってる範囲では、知人の会社の同僚が九州に避難したという、一名しか知らない。

Aさんは恋人に、一緒に関西に避難しようと言った。しかし、恋人は自分がしている仕事を代わりにできる人がいないから一緒に行けないと返事をした。

成田空港からは欧米の航空会社は放射能の危険から既に退去しており、福島の原発がさらに爆発して首都圏に放射能が及んだ場合、もう成田空港から避難することはできなかった。そうなる前に、まだ欧米路線が利用できる関西へ避難しようと考えたのだ。

Aさんは言う。あなたは健康と仕事のどっちが大事なの?健康でなくなったら仕事も何もできなくなるよ。自分の健康が危なくなったら、仕事なんか放り出して避難するのが道理だよ。なのになぜ恋人は分かってくれないんだ、と。2人の間でだいぶ揉めたそうだ。

私は日本人の恋人の気持ちが理解できる。確かに、福島第一原発はいつ次の爆発が起こるか分からない緊急事態だった。しかし、首都圏から避難するほど、巷では切羽詰まる雰囲気ではなかった。それは間違いだったかもしれないが、避難する日本人はほとんどいなかった。なぜなのだろう?

Aさんは、日本人の責任感と周りの目を気にする性質がそうしたのだと分析する。もし彼の国で同じことが起こった場合、首都の人々は1人残らず遠くへ避難するだろうと言った。

私が思うに、自分を含めて多くの日本人が首都圏に留まったのは、会社から避難してよいという許可が出なかったからではないのか。日本人は昔から、お上の達しがなければ動かないという性質がある。会社の方から許可が出ないのに、みんなが出勤しているのに自分だけ避難するのは、なんとなく気が引けた。私の家族の間でも、放射能が首都圏に及ぶ事態かになったら大阪へ逃げようという段取りはできていたが、幸い実行せずに済んだ。

我が身に危険が及びそうになったらすぐに安全な場所へ逃げると考えるのは、一見自己中心的にも思える。外国人にできて、日本人にはできない。違いはどこから生まれるのだろうか。一般的に言われているように、日本人は集団主義で西欧は個人主義の歴史の違いなのだろうか。

もしそうなら、同じアジア人でも個人主義の中国人はまっさきに避難することをためらわないだろう。

極限の状態に置かれると、人間の本性が分かる。しかし、もう同じ体験はしたくない。





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