久しぶりの日本語のブログです。

今日は、僕の好きな写真は、一体全体どのような写真なのだろう、ということにスポットを当てて書いてみたいと思う。


僕が通っている写真の学校の先生は言った。


自分の好きな写真、興味を持った写真は、
どうして好きなのか、どうして興味を持ったのか
徹底的に考えなさい。
そうして自分の価値基準を持ちなさい。



記憶をたどって書いたので多少脚色もあるかもしれないが、ニュアンスは理解できたと思う。


僕は近頃、書店や図書館で興味を持った写真集を探し求め、自分がどのような写真家になりたいのか真剣に考えている。カメラ雑誌も何冊も読み、読者が投稿した上手な写真あるいは良い写真を観ると嫉妬を覚え、また自信を失くして、パニック障害症候群に陥りそうになることもあった。

自分は写真が上手い方だと思っていたが、平凡以下の写真しか撮れていないのだと。自分の写真には力がない

力がある写真とはどんな写真のことを言うのか。あくまでも自分の乏しい知識の中での話だが、例えば僕は、ハービー・山口の写真が現在最も好きであり、目指しているものに近いと思っている。

ハービー・山口の写真は、街角や喫茶店などで撮ったスナップショットなのだが、相手に分からないように撮影されたスナップショットとは違い、相手に同意を求めた上で撮影された写真であり、ハービー氏はご自身の写真をスナップ・ポートレートと呼んでいる。被写体の表情があまりにも自然で爽やかで、みんなハービー氏の知り合いなのではないかと考えたが、そうではなかった。

ハービー氏は撮りたいと思った被写体に出会ったとき、話しかけて相手まで幸福にしてしまう言葉の魔法使いでもあるのだ。

先日行ったハービー・山口のトークイベントで聞いたエピソードを紹介する。

目黒川にかかる橋で、孫らしい赤ちゃんを乳母車に乗せて友達と話しているご婦人を見かけた。ハービー氏は、これは良い被写体に出会えたぞと思い、レンズを向けた。どんどんご婦人に近づいていき、こう話しかけた。

―お子さんさんかわいいですね。写真撮らせて下さい。


誰が見てもお年を召されたご婦人で、孫であることは分かるのにである。


―いいええ、孫ですよ(笑)

とご婦人は言った。


このようにしてハービー氏は写真に収めることができたのだ。口がうまい、というのもあるかもしれないが、ご婦人は孫を「お子さん」と言われたことで、「私はまだまだ若いのね♪ うふん♪」とその日一日幸せな気持ちで過ごすことができるのであった。今でいう WIN-WIN の関係を簡単に築いたのだ。お見事というしかない。


僕が興味を持つ写真は、風景写真よりも、グラビアよりも、広告写真よりも、ポートレートよりも、報道写真よりも、市井で人物が写っている写真だと分かってきた。それも、顔が大きく写っている方が良い。

そのような写真集を図書館で探して、今日は以下の写真集が気にった。

・甲斐扶佐義 『Beautiful Women in Kyoto』 リンク

甲斐氏が、自身が経営する個性的なバー「八文字屋」に来る美人のお客を撮り集めた写真集。羨ましい限りである。

・英伸三 『上海天空下』 リンク

上海の街の人々を写した写真集。

・藤原新也 『アレクサンドリアの風』 リンク

エジプトのアレクサンドリアの街の人々を写した写真集。

・小林伸一郎 『海人』 リンク

日本各地の島や半島、海辺に生きる人たちを写した写真集。

・富山治夫 『現代語感 1960-2004』 リンク

1964年から1年4ヶ月の間、朝日ジャーナルで企画・連載された写真を集めたもの。

中條均紀 『山古志村ふたたび』 リンク

2004年に発生した中越地震復興応援写真集。


以上の写真集の写真を、僕は「力がある」と感じる。訴えるものがある。引き込まれるものがある。



写真を通じて東日本大地震の為に何かしたいと思うが、自分の生活もままならず、塞ぎこむ夜もある。しかし、写真家になることは全く後悔していない。

テレビで、津波に流された家の跡で、家族写真が収められたアルバムを探している人の映像を観た。写真に収められた家族の思い出は、やはり大切なものだと改めて感じた。家は無くなっても、共に生き、暮らし、楽しいこと、辛いことを分かち合った家族との思い出は、写真を通じてその時の感情を思い出すことができる。不幸にも家族の一員が失われてしまったとき、記憶だけでなく、記録を残すという大事な役目も写真は担っている。

『山古志村ふたたび』の写真集を観て、自分が写真家だったら、被災する前の東北地方を写真に収めて写真集をつくり、被災された人々に提供して勇気を与えたいと思った。しかし、私は写真に収めておらず、叶えることができない。被災する前の写真を撮られたプロ・アマの写真家の方たちには、ぜひ写真集を出版し、売上を義捐金にして欲しいと思った。


毎日もがきながら、いつか先輩方のような写真家の一人になりたいと思う。