しばらくぶりですが | te10teさんのブログ

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いきなりですが、愛猫のらむが


10月23日に、虹の橋を渡っていきました


ひと月と少し立ちましたが


側にはいなくてもらむのことを


思うと涙が止まりませんが


それに


母が亡くなって一年もたってないのに


らむまでいなくなってしまって



ここまで、悲しくて寂しいと思うことは


なかったな


母が亡くなったときも悲しみよりも


あとのことで、悲しがるどころではなかったし


らむのこともあるので、悲しむ間もなかったが


らむのこともいつも気にはしていたが


口内が荒れていたのは


食欲がないことがあって


みてもらったら、かなり病気が進行していて


どうしょうもない状態だった


らむの体力とか考えてらむがなるべく負担に


ならないように考えて処置をしたのだが


それでも、らむはよく耐えて


ここまで、生きてくれました


症状がわかって7ケ月でした


エリザベスカーラーもしていたので


ストレスを感じていたのも


よくわかっていただけに


らむとは違う感情があり辛かった


母がなくなっても、らむがいたからこそ


ここまで、これたけど


何を糧に生きればいいのか


わからなくなるよ


らむを連れて行った日は


午前中は、何とか休ませてもらって


行けたから本当にありがたかった


午後は仕事に行ってたけど


家に帰るのが本当に辛かった


家に帰ってらむがいないのを


現実的に突き立てられるのが


本当に辛かった


母が亡くなって一年が経とうとしているが


未だに信じられない気持ちが正直あるし


らむもいなくなって、ひと月ぐらいだけど


こんなに辛いなんて


思いもしなかった


歴代の愛猫は、弟が世話をしていたから


ここまでの感情にはならなかったが


悲しくないと、言うことではない


弟がらむのことはしないと頑なに


拒んでいたが、それは感情が入ると


悲しくなるからということ


それでも、私がいないときは


面倒を見てくれていたことは感謝してる




らむのことを少しでも軽減てきるのは


新たに猫を飼うことだけど


私がいないときも多いから


弟から、飼おうとか言わないか


嫁さんとかがいない限り飼うことは


ないだろうな




らむ、今までありがとうな


母がなくなって


らむもいなくなるのが


ここまで、悲しくなるとは




いつかはと覚悟はしていたが





急には、なかなか気持ち的には


前を向くには時間がかかるけど


言葉ではなく、形でしか


救われないし心は埋まらない