<日本半導体の歴史 【Part3】>

 〜日本半導体産業の衰退と米・台・韓の成長〜

 

 

 

 

 

 

 

 

1996年の日米半導体協定終了以降、メモリ不況が到来した。

不況+日米半導体協定による衰退の兆候から、日本の総合電機メーカー各社もDRAM事業から撤退していった。

 

そんな中、希望の光とも思えたのが1999年に日立とNECのDRAM部門を統合して誕生したエルピーダメモリだ。

 

 

エルピーダメモリ

 

※エルピーダメモリ

1999年に日立とNECのDRAM部門を統合して誕生

2003年には三菱電機のDRAM事業も加わり、2004年に東京証券取引所市場第一部に株式上場

日本のDRAMシェアは2000年代初頭で4%近くだったが、エルピーダメモリのみとなった2009年には約16%まで立ち直った。

しかし、急激な円高の影響や業界大手マイクロンとの資本・業務提携も難航し、2012年に経営破綻となる

 

 

このエルピーダメモリの経営破綻にてDRAMメーカーは消滅することになり、日本の半導体産業は衰退していくことになる。

だがその他にも日本半導体のシェアを低下させたと思われる要因が存在する。それは主に二つだ。

 

アナログ→デジタルへの時代変化による主要製品の変化へ付いていけなかった点

②デジタル時代となり、ファブレス・ファウンドリ方式の水平分業型へシフトしていった点(このシフトによってTSMC(台湾)は成長していく)

 

※ファブレス:工場を持たず、製品の企画・設計・マーケティング・販売などに特化

※ファウンドリ:生産機能のみに特化したメーカーやビジネスモデル

 

 

この二つが重なったこともあり、エルピーダメモリの経営破綻、ひいては日本半導体産業の衰退を招いていった…

 

 

世界半導体企業トップ10

引用:週刊エコノミストOnline

 

 

そんな状況の中、他国(特に韓国、台湾、米国)は急激にシェアを伸ばし、デジタル時代へ対応した半導体メーカーが数多く出てくることになる。

 

 

<韓国>

サムスン電子

1980年代からDRAM事業へ進出

日本のシャープや東芝、米マイクロンなどの支援により、資金面や技術面を強化

その後、フラッシュメモリ市場で最高シェアを獲得(2003年)

 

SKハイニックス

現代(ヒュンダイ)グループの電機部門として創業

1990年代から東芝と技術提携

収益の中心はDRAM事業(2017年時は収益の9割を占有)

 

 

<台湾>

・TSMC

※詳細は後日…

 

 

<米国>

①インテル、②NVIDIA、③テキサスインスツルメンツ(TI)、➃マイクロン、⑤AMD

※こちらも後に解説…

 

 

ここで紹介した企業がデジタル時代の中でも頭角を表し、日本企業は売上高トップ10から名を残せない状態へと陥るのであった…。