<日本半導体の歴史 【Part1】> 

〜戦後復興と共に歩んだトランジスタ〜

 

 

 

 

 

 

日本の半導体が強かったのは”過去の話”と扱われているが、その半導体の歴史をみなさんはご存知だろうか?

現在、世間を賑わせている半導体について、まずはパートを3つに分けてお伝えしていこうと思う。

 

今回のPart 1は日本半導体の初期を支えた”トランジスタ”に焦点を充てる。

 

 

 

 

 

トランジスタの発明は、戦後すぐの1947年に米国で行われた。

そんなトランジスタ発明の情報を日本で最初にゲットにしたのは、とある東北大学教授の1人と電気試験所の2人であった。

※この日本人3人に情報提供したのは、ベル研究所(トランジスタを発明したアメリカの研究所)出身でGHQのジョン・ポーキングホーンという人物である。

 

 

こうしたアメリカで推進されていくトランジスタ研究に目を付けた日本勢は積極的にアメリカと手を結ぶことにした。

例えば、東芝日立ソニーらはアメリカの先進メーカーと技術契約や特許契約などを結び、技術や考え方を徹底的に取り入れていく方向へ舵を切った。

 

 

そんなアナログな時代における情報収集の中で、重要な機会となったのが学会だ。

特に、現在も半導体新技術の発表の場として数千名規模の学会へ発展しているISSCC国際固体素子回路会議)は貴重な情報収集の場となった。(初回会合は1954年)

 

 

2020年米・サンフランシスコで開かれたISSCCの様子

(引用:日経XTECH)

 

 

学会や半導体メーカーによる積極的な社費留学の後押しなどもあり、日本国内の企業でも徐々にその影響が出始めていた。

中でも、トランジスタ生産において先陣を切ったのは、ソニーだ。

 

 

ソニー創業者の井深大がラジオにも使えるトランジスタを自社でも製作していこうと決断したことにある。

そんなソニーを追う形で真空管を取り扱う大手メーカーの東芝、日立、日本電気などがトランジスタ生産の増加へと踏み切ることになった。

 

 

日本において、半導体の最初の市場の中心を担ったのは、ラジオ

トランジスタがラジオに扱われるようになったことで、①小型②軽量③低消費電力化が実現され、これまで一家に一台であったラジオが一人に一台となったことから日本がトランジスタの最大先進国となっていった。

 

「トランジスタ・ガール」が働く様子

(引用:日本半導体歴史館)

 

しかし、その他にも日本がトランジスタの最大先進国となった訳が存在する。

それは、手先が器用な若い女子工員(通称:トランジスタ・ガール)の存在だ。

 

中学を卒業仕立ての大勢の女性達がトランジスタ・ガールを担当し、多くの労働力を提供することで、日本はトランジスタの最大先進国となることができた訳だ。

 

 

 

こうしてトランジスタ・ガールの存在やソニーが生産へ踏み切ったおかげでその他当時の真空管大手メーカー:東芝、日立などもトランジスタ生産へ踏み切るようになり、日本企業全体でトランジスタ増産の流れが作られていった。

そして、ラジオだけでなく、テレビやエアコンなど当時のハイテク電化製品にまで半導体が扱われていき、日本は半導体強国の道を歩んでいくことになる…。