氣と気は似て非なるもの

漢字にはそれぞれ成り立ちの意味があり、

略すことで実は意味が違ってしまうようだ。

きがまえのなかにあるものが、

米なのか〆なのかで実は意味が変わるなんて

今更ながらの発見である。

 

色々な捉え方はあるだろうが、

米は四方八方に巡らす意味。

そして〆は文字通り閉じてしまうという意味。

こう考えると真逆であり、

非常に恐ろしいことである。

 

どうも戦後に氣から気に変更になったようだ。

人は氣を殺すことでかえって自分を弱くする。

氣を隠すことでどんなことが起きるのか?

氣から気になったのは、

氣を隠し氣を使えなくさせるための方策なのか?

なんて思った日であった(笑)

 

氣を正しく使えれば、病気も減ると思うんだけど・・・。

 

END