今回は、申し出・申し入れ・提案を表す例を新たに見ながら、負担・利益の尺度に基づく寛大さの公理について考えていきます。

…してあげる」「…してやる」という表現は、話し手が聞き手(他者)に自分が何か行為を行うことを主張したり、提案したりします

このような提案・申し出の表現がポライト(polite)か、ポライトでない(impolite)かを決めるのは、リーチの6つの公理のうち、「寛大さの公理」(Generosity Maxim)にです。


前から見ているように、この表に従った発話をすれば、感じがよくなる、つまりポライト(polite)になります。

表によると、寛大さの公理に従って提案・申し出をする場合、話し手が聞き手(他者)に対して行う行為が、話し手(自己)の負担となる場合、はっきりと(直接的に)言う方がポライト(polite)になります。

これをアラン・クルーズ『言語における意味―意味論と語用論―』(片岡宏仁(訳),東京電機大学出版局,2012年)のp. 536にある例を使って説明してみます。

クルーズは「話し手には負担になることの申し出は、ポライトネスのためには可能なかぎり直接的になされねばならない」と述べています。

つまり、話し手が自分の負担となる、食器洗いをするという行為を申し出る場合、

Let me wash the dishes. ぼくに食器洗いをさせてください

のようにはっきりと(直接的に)言うのが、ポライト(polite)な言い方なのです。

これを、

I was wondering if I could possibly wash the dishes. もしよければ食器を洗ってもいいかと思うのですが

のように言うと、食器洗いをするのが本当は嫌だけど、やらざるを得ないような場の空気があるので、しかたなくやってもいいと勿体をつけて言っているように聞こえます。

このような間接的で持って回った言い方は、決して感じのよい言い方ではない、つまりポライトでない(impolite)ことが分かると思います。

では、以下の紗霧ちゃん(エロマンガ先生)が、兄である和泉マサムネに「私が、兄さんを、養ってあげる」という申し出をしている場面について考えてみましょう。

「? お金……困ってるの?」
紗霧は、再びいつもの口調に戻る。
「もしそうなら……兄さん、大丈夫、安心して」
悩む俺に、紗霧が母さんそっくりの優しい声色で、はっきりとこう言った。
私が、兄さんを、養ってあげる


「……………………………………」
こ……この優しい言葉に、どう反応していいのかわからない……!
妹に思われて嬉しいと喜ぶべきか。はたまた俺って情けねえと哀しむべきか。
「ずっと、そうしようって、思ってた」
「……紗霧」
(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 186)
[アニメ版だと第6話 和泉マサムネと一千万部の宿敵のBパート]

この場面では、話し手の紗霧ちゃん(エロマンガ先生)が聞き手(他者)の和泉マサムネに、養う(つまり金銭的援助を行う)ことを提案しています。

この行為は話し手の紗霧ちゃん(エロマンガ先生)が金銭的な負担を担うことからすぐ分かるように、話し手(自己)の負担となっています。

そのため、「私が、兄さんを、養ってあげる」と直接的な言い方で提案するのが、ポライト(polite)な言い方になります。

これを、「もしよければ、私が兄さんを養ってあげてもいいかと思うんだけど」のように言うと、やはり勿体ぶった、気取って嫌みな言い方に聞こえます。

これは話し手(自己)の負担となる、直接的に提案すべき行為を、間接的に提案しているので、ポライトにならないからです。

次の、千寿ムラマサが和泉マサムネに「君たち兄妹は、必ず私が、一生守ってやる」という提案をしている場面も同様です。

だめだこいつ……やっぱり、完全にマジで言ってる。
俺に全財産を支払って、自分好みの小説を書かせようとしている。
和泉マサムネを―買い取るつもりだ。
「安心しろ、マサムネ君」
ムラマサは、俺の手を握り締めたまま、身体を密着に近いほど寄り添わせ……
「君が私のものになってくれるなら―君たち兄妹は、必ず私が、一生守ってやる


脳を蕩かすようにささやいた。
―ぐらり、と、来た。

(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 308)
[アニメ版だと第7話 妹と世界で一番面白い小説のBパート]

この場面では、話し手の千寿ムラマサが聞き手(他者)の和泉マサムネに、私が一生守ってやる(つまり金銭的援助を行う)ことを提案しています。

この行為は話し手の千寿ムラマサが金銭的な負担を担うことからすぐ分かるように、話し手(自己)の負担となっています。

そのため、このように直接的な言い方で提案するのが、ポライト(polite)な言い方になります。

この場面でもし、千寿ムラマサが「君が私のものになってくれるなら―君たち兄妹がもしよければの話だが、君たちは、必ず私が、一生守ってやってもいいかと思うんだが」と言えば、関西人なら「何勿体つけとんねん。はっきり言えや」とツッコミたくなるかもしれません。

以上で見てきたのは、いずれも話し手(自己)の負担となることを申し出る「…してあげる」「…してやる」の例でした。

今度は逆に、話し手(自己)の利益となる申し入れをする場合のことを考えてみましょう。

これもアラン・クルーズ『言語における意味―意味論と語用論―』(片岡宏仁(訳),東京電機大学出版局,2012年)のp. 536にある例を使って説明してみます。

クルーズは、話し手の利益になることの提案は、ポライトネスのためには弱められる必要がある、つまり遠回し(間接的)に言うべきだと述べています。

例えば、車を借りたいと聞き手に言う場合、

I want to borrow your car. 君の車を借りたいんだけど

のようにはっきりと(直接的に)言うのは、厚かましくポライトでない(impolite)言い方なのです。

このような場合、間接的

Could I possibly borrow your car? 君の車を借りてもかまわないかな?

と言う方がポライト(polite)になります。

ここで、編集者の神楽坂あやめに対して、和泉マサムネがラブコメ小説を早急に出版したいと申し入れている場面を見てみましょう。

「神楽坂さん」
「う、うん。なに?」
「俺、この前提出したラブコメ小説を、絶対に本にしたいんです。今年中に、なるべく早く、作家としての成果を出さなくちゃいけない。どうしても」
だから。
「―相談に、乗ってください」
誠意をこめて、頭を下げた。
俺は、虫のいいことを言っている。そいつを承知の上で、一番頼れる大人に、相談したのだ。
(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 221)
[アニメ版だと第6話 和泉マサムネと一千万部の宿敵のBパート]

この場面では、話し手の和泉マサムネが聞き手(他者)の神楽坂あやめに、ラブコメ小説を本にすることを申し入れています。

この申し入れが実現すれば、話し手の和泉マサムネが、自分の本を出版してもらうという利益を得るため、話し手(自己)の利益となっています。

そのため、「この前提出したラブコメ小説を、絶対に本にしたいんです」と直接的な言い方をした上でなおかつ「絶対に」という副詞で強めていると、あまりポライト(polite)な言い方にはなりません。

自分の都合ばかり、遠慮もせずに言っている感じがします。

本来ならば間接的に、「すみませんがこの前提出したラブコメ小説を、本にして頂きたいと思っているのですが、どうでしょうか」のように言うべきところです。

そのため、和泉マサムネは心の声で「俺は、虫のいいことを言っている。そいつを承知の上で」と言っているのです。

山田エルフが和泉マサムネにプロポーズめいたことをする次の場面でも、山田エルフがやや高ビーで自分勝手だという印象を受けます。

悩みながらも、真っ直ぐ俺を見つめる瞳から、目が離せない。
エルフは、はっきりとこう言った。
あんた、わたしのお婿さん候補だから


「……え……っ。そ、そそそ、それって!」
「か、勘違いしないで頂戴っ! あんたなんかに、わたしが恋しちゃってるわけじゃないんだからね! ただっ、そのっ、そう―アレよ! あんたと結婚したら、毎日楽しいかなって、幸せになれるかなって、そう思ったからっ!
こ、こいつ! なんつー恥ずかしい台詞を!
(伏見つかさ『エロマンガ先生3―妹と妖精の島―』電撃文庫,2014年,p. 176)
[アニメ版だと第9話 妹と妖精の島のBパート]

この場面では、話し手の山田エルフが聞き手(他者)の和泉マサムネに、自分と結婚するように申し入れています。

この申し入れが実現すれば、話し手の山田エルフが、後に書いてあるように自分が「毎日楽しい」「幸せになれる」という利益を得るわけです。つまり話し手(自己)の利益となっています。

そのため、「あんた、わたしのお婿さん候補だから」と直接的な言い方をすると、あまりポライト(polite)な言い方にはならず偉そうに聞こえるのです。

このような場合、やはり「あなたがわたしのお婿さん候補になってくれたら、わたしすごくうれしいんだけど、どうかな」のように間接的な言い方をすべきところです。

でもそうしてしまうと、山田エルフの高飛車キャラとは合いませんよね。作者はここで、彼女のキャラ付けのために、あえてポライトでない(impolite)言い方をさせているのです。

最後に、千寿ムラマサが山田エルフに王様ゲームをやるように言われた場面を見てみましょう。

「王様ゲームをやるわよ!」
「王様ゲーム? なんだ、それは……? 私は、小説を読んでいたいんだが……


「オーケイ、予想どおりの返答よ。……ちょっと来なさい」
エルフは、渋るムラマサ先輩の肩に腕を回すや、立たせてラウンジの隅っこまで連れて行った。でもってこちらに背を向けて、なにやらコソコソと説得している様子。
(伏見つかさ『エロマンガ先生3―妹と妖精の島―』電撃文庫,2014年,p. 219)
[アニメ版だと第10話 和泉マサムネと年下の先輩のBパートだが当該の台詞はなし]

ここでは王様ゲームをやるという周りの雰囲気に逆らって、千寿ムラマサが話し手(自己)の利益となる「小説を読んでいる」という行為をしたいと申し入れています。

ここでは、「私は、小説を読んでいたいんだが……」と語尾を濁すような間接的言い方をしていることに注目してみましょう。

話し手の利益になることの提案は、ポライトネスのためには弱められる必要がある、つまり遠回し(間接的)に言うべきだということなので、千寿ムラマサはちゃんとポライト(polite)な言い方をしているのです。

ここで「私は小説を読んでいたいんだ」と直接的に言うと、やや偉そうに聞こえてポライトではなくなります。

以上で見たように、話し手にとってある提案が負担なのか利益なのかによっても、どう言えばポライトになるのかが変わってきます。これが、リーチの言う寛大さの公理なのです。