みなさんは、伝えようと思っていることの具体的内容を、十分に表現できなかった経験がありますか。
以前口下手で言葉足らずな紗霧ちゃんのキャラ特性を取り上げ、量の公理によって説明しましたが、口下手という本人の性格以外にも、ものごとをうまく表現できない場合というのはあります。
たとえば以下の、和泉マサムネが自分の作品のヒロインとなる『えっちな妹のイラスト』を描いてもらっている場面について考えてみましょう。
そうして俺は、描いてもらった、えっちな妹のイラストを覗き込んだ。
紗霧の気持ちを無駄にしないよう、率直に意見を言う。
「……なんか違うな」
「というと?」
紗霧は怒らず、問い返してくる。
「もっとかわいく描いてくれ」
[…]
「もっと具体的に言って。かわいくって……どんなふう?」
[…]
「ええーと……おまえみたいな感じに描いてくれ」
「―なっ!」
びく! と身体をはねさせて、それから。
紗霧は、かぁぁ〜っと赤面した。
「ま、また! 兄さんは、またそういうこと言う!」
[…]
「理想の妹ヒロインが、おまえそのものなんだからしょうがねーだろ!」
俺の誠意が伝わったのか、紗霧は赤面したまま口ごもる。
挑むように俺をにらみつけて、
「……わ、わ、私みたいにって言われても……わかんない」
「む……?」
「ぐ、具体的に……言って」
「な、なんだとぉ……?」
こいつ、なんつった? 俺に、妹がどういう風にかわいいのか、具体的に説明しろってこと?
本人の前で? ハードル高ぇよエロマンガ先生! 俺を殺す気かよ。
(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,pp. 35-37)
[アニメ版だと第5話 妹とラノベ企画を創ろうのAパート]
ここでは、和泉マサムネの「もっとかわいく描いてくれ」という発話が、具体的内容に関する情報の不足したものでした。
つまり、「必要とされるだけの情報を提供し」というグライスの「量の公理」に違反しているのです。
そのため、紗霧ちゃん(エロマンガ先生)は「かわいくって……どんなふう?」と聞き返しています。
それに対してさらに、和泉マサムネは「おまえみたいな感じに描いてくれ」と言うのですが、人は自分自身のように描いてくれと言われても、自分を外から見たことがないので具体的なイメージがわきません。
そのため再び、「私みたいにって言われても……わかんない」「ぐ、具体的に……言って」と紗霧ちゃん(エロマンガ先生)が続けて言う流れになっているのです。
和泉マサムネは具体的イメージをまったく持っていなかったわけではありません(その証拠に、後の部分で「幻想的」「顔つきを、いまより幼くして」「胸も小さくして」のように言っています)。
ラノベ版の心の声で「俺に、妹がどういう風にかわいいのか、具体的に説明しろってこと? 本人の前で? ハードル高ぇよエロマンガ先生! 俺を殺す気かよ」とあるように、和泉マサムネは本人の前で説明するのがあまりに恥ずかしくて、その結果情報量が不足して、「必要とされるだけの情報を提供し」という「量の公理」に無意識のうちに違反してしまったのです。
そのため、何度も紗霧ちゃん(エロマンガ先生)に聞き返され、ますます恥ずかしい思いをすることになります。
このような、理由がわかっていながら何度も情報量の点でのずれ(量の公理の違反)が生じているさまは、端から見ていると、非常に面白おかしく感じられます。
ずれがやはり笑いや滑稽さにつながるからです。
さらに、前回取り上げた、パソコンの画面に向かって自分のぱんつを見せていた山田エルフに対して、和泉正宗が驚いて問いただしている場面をもう一度見てみましょう。
「だからー! あんたがいないときに、エロマンガ先生と二人で色々お話ししてたの!
[…]んで! 『わたしの小説に登場するヒロインのえっちなイラスト』を一枚、知り合った記念に描いて頂戴ってお願いしたの!」
あつかましいやつだな。
「それで?」
「そしたら、エロマンガ先生が、『描いてやるからぱんつ見せて』って言ってきたのよ」
「…………………………」
俺はその場に座り込んでしまった。げんなりと頭を抱えて、
「…………紗霧?」
あえて本名で、パソコン画面に呼びかけた。
「だ、だってっ」
[…]
「ぱんつ見たかったんだもん」
(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 73)
[アニメ版だと第5話 妹とラノベ企画を創ろうのBパート]
ここでは、なぜ「ぱんつ見せて」と山田エルフに言ったのかを、和泉マサムネが紗霧ちゃん(エロマンガ先生)に尋ねています。
でもその答えは「ぱんつ見たかったんだもん」となっています。
このように「なぜ~なの」に対して、「~」を変えずにそのまま「~だから」「~だもん」のように答えるやり方は、「~」に対して何の新しい情報も付け加えていません。
したがって、「必要とされるだけの情報を提供し」というグライスの「量の公理」に違反しています。
これの典型的な例は、ハッシュタグにもなっている「好きったら好き」という言葉です。
同様の言い方では「好きなんだから好き(としか言えない)」「好きなものは好き」などがあります。
このような場合、なぜ好きなのか説明できないので、好きなのは好きだからと言っています。
私自身も、「なぜTHE ALFEEの高見沢俊彦さんが好きなんですか」と聞かれても、「好きなものは好きなんです、理由はうまく言えません」としか言えません。理性で好きと考えているのではなく、自分をコントロールできなくなるほど心が彼のことを好きだからです。
そもそも本気で感じている恋愛感情や欲望というのは、自分で自分をコントロールできなくなるほどのものなので、本人がそれを分析して具体的情報を抽出することは無理だと思います。
そのため、どうしても本気度が高ければ、具体的情報を与えることができず、「必要とされるだけの情報を提供し」というグライスの「量の公理」に違反してしまうのでしょう。
つまり、「ぱんつ見せて」と言った理由を訊かれて、「ぱんつ見たかったんだもん」としか答えられない、つまり自分の欲望を具体的に考えることができないということは...
ここでは紗霧ちゃん(エロマンガ先生)の女の子の「ぱんつを見たい」という欲望が、筋金入りの本気のものであることが、暗に示されていると解釈できます。
そこまで解釈するのはやりすぎだと言う人もいるかもしれませんが、私自身はグライスの協調の原則を使うことで、このような読み解き方も可能だと考えたいです。
次回は、関係の公理に関して、もう少し具体例を見ていく予定です。