紗霧ちゃんは、口下手で言葉足らずなことが多々あります。


たとえば、エロマンガ先生の正体が自分だとバレた理由を兄に尋ねる場面でも、はっきり全部言わず、伝えるべき情報量が足りないことになっています。

 

『兄妹の会話』が可能になったところで、まず紗霧は、
「なんでわかったの?」
と言った。声がでかくなっても、言葉足らずなやつである。

「えーっと、『なんで「エロマンガ先生」の正体が、私だってわかったのか』ってこと?」
翻訳してみると、紗霧がこくんと頷いた。
(伏見つかさ『エロマンガ先生―妹と開かずの間―』電撃文庫,2013年,p. 69)
[アニメ版だと第1話 妹と開かずの間の15分くらいのところ]

 

このように伝えるために必要なことを全部言わないのは、ポール・グライスという哲学者が言っている、会話で守らなければならない決まりごとの1つである「必要とされるだけの情報を提供し、必要以上に多くの情報を提供しないこと」に違反しています。だから、本当はやってはいけないのです。


ここでは、ラノベで「翻訳」と書かれているように、兄が足りない情報をなんとか自分で補足し言い直して、紗霧にそれで合っているのか確認しています。
この場合は、これでコミュニケーションが成り立ったので、よかったのですが...

 

紗霧ちゃんの有名な何度も出てくる台詞「私、好きな人がいるの」の場合、実際には「私、好きな人がいてそれは兄さんなの」を意味しているのですが、後半部分を紗霧ちゃんが口下手で言わないために、兄の正宗は自分以外の人のことを紗霧ちゃんが好きなのだと誤解します。

 

以下は、実質的に妹である紗霧ちゃんへの愛の告白になっているラノベの原稿を、紗霧ちゃん本人に読ませた後の反応を描いた場面です。

 

俺の書いた原稿(ラブレター)を最終ページまで読み終えた紗霧は、
「兄さん」
愛をささやくように、こう言った。
私、好きな人がいるの


[…]
「……そ……っか」
[…]
いまのは『俺の告白』に対する、紗霧の返事だ。
あなたの思いには応えられない。
そう、受け取った。

これでいい、って、そう思った。
これでいいのだ。
だって俺たちは、兄妹なんだから。
俺は、こいつの家族になると、決めたんだから。
(伏見つかさ『エロマンガ先生―妹と開かずの間―』電撃文庫,2013年,pp. 348-349)
[アニメ版だと第4話 エロマンガ先生のBパート、エンディング直前のところ]

 

兄は遠回しに自分の告白が断られたと解釈してしまいます。

でも実は、紗霧ちゃんも兄さんのことが好きで、相思相愛なのです。

それは、兄が紗霧ちゃんに告白めいたことをすると、それに対して反応する紗霧ちゃんを描いた以下の場面からも読み取れます。
 

俺は、紗霧の目を見て言った。
俺は、おまえのことが好きだ
「!」
びく、と、固まる紗霧。かぁぁぁ〜っ、と耳先まで茹であがっていく
「……そんな……はっきり……」


「一目惚れだったよ―でもな」
俺は真摯に宣言する。
「俺は、おまえの兄貴になりたいんだ。兄妹で恋愛なんて、ありえないだろ?」
[…]
紗霧は、戸惑った様子で俺の台詞を遮った。


「……なんでそうなるの?」
「なにがだ?」
「あ、あのっ……あのとき私……『好きな人がいるの』って」
「ああ。だから、『俺の気持ちには応えられない』ってことだろ。ちゃんとわかってる」
[…]
ばか〜っ!」
(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,pp. 23-25)
[アニメ版だと第5話 妹とラノベ企画を創ろうのアバン、2分28秒くらいのところ]

 

兄妹で恋愛なんてありえないので、自分は紗霧ちゃんの「兄貴」になると言います。
それに戸惑って、もう一度紗霧ちゃんは兄に好きだと言おうとするのですが、ここでもやはり、情報量の足りない有名な台詞「好きな人がいるの」を繰り返します。
そのため、兄の方は、自分のことが好きだとすれば「好きな人がいてそれは兄さんなの」と言うはずなので、「好きな人がいるの」だけでは自分以外の人を好きだと言外に言っているのだと解釈します。

 

このようなやり取りは、端から見ていると、何かずれた感じがして面白いものになります。

 

お笑いというのは、そもそも意図的に解釈をずらすことから生じることが多いのですが、『エロマンガ先生』のこの有名な台詞に見られるそういったずれは、そのようなうまくいかない兄妹の会話の端から見た面白さを形作っています。

 

要は、エロとギャグのバランスが取れた『エロマンガ先生』における、ギャグ的部分の1つが、言語学的な原理によって動機付けられているということです。