労働は社会的義務である。どんな人も、どんな職種でも、仕事によって人は大義を為すことができる。自分の天職はきっと他にあるとか、自分の働きに待遇が見合わないとか、仕事に行きたくない、だとか、そういう低劣な姿勢でいるより、どんなに無感動でつまらない仕事にも自分の存在意義がここに輝いていると信じて、精力的に働く方が好ましい。好ましいというのは、そういう人間に徳が集まるという意味である。存分に身を削って、どんなに廃れても、人の役に立ち、社会に貢献できるなら、本望である。一生を働き続けて死ぬことができるなら、労働と寿命を引き換えにし続けて、生を送ることができるなら、それはそれは万々歳である。ブラック企業?なんのその。でも、世の中、陰陽論。悪と思えば、良であり、善かと思えば邪に走る。ただがむしゃらに働くことだけが方正かと思えば、それは偽である。きっと身の丈以上に、身を削り、正しくない忍耐を続ければ、人は壊れる。周りの人に優しく接することさえできなくなる。人が人として生きていくために、まず重要なのは、穏和であることである。余裕を失った人は他人にも、自分にも粗末な態度をとるようになる。東京の満員電車は切迫と性悪の代名詞とでも言えようか。これでは、健全さが損なわれ、良からぬ人生の小道を歩むことになる。ただ自分を殺して、身を粉にして働くより、小さな幸せを見つける方が比にならないほど善良である。真正直で真面目な人ほど、道を誤ったことに気づかないものである。気の毒にも、心は静かに死んでいくものである。精強な人間たちの集う職場環境の同調圧力も厄介。定時出社が躊躇われるなら、悪企業と疑うといい。省エネに生きる人間にとって、この社会は実に異常である。身を守るために、慎重さと大胆さが必須である。職場選び。仕事に精力的に取り組むことは素敵なことでもある。しかし、自分の身体に合った仕事を見つけ、相応のペースで職務を果たすことは、幼き子どもの前で、赤信号を守るかの如く肝心なことである。