何にも書くことがない日こそ、日記を書くのである。日記は衒気的義務である。報酬のない労働である。見返りのない純朴な気持ちで文を属すのである。

 自堕落な人間は、幸福が多い。失うものがない。故に人は不徳を夢見る。堕落とは最高の娯楽かもしれない。

 健全な人間は各々の稼業に励むべきである。不健全な人間は稼業に励むために、健全を目指すべきである。どの人も、業を背負ってこの世に生を受けている。アダムとイヴは誘惑に抗えず、禁断の実を口にした。人間は、楽園を追放された身なのである。この世の人はみな、自分が追放された身であることを忘れている。皆、精を絞って働かなければならないのである。

 私が会社へ行かなくなって、三週間経った。ずる休みではなく、甘えでもなく、ただ身体がずっしり重い。本当はね、誰よりも人一倍、前向きな気持ちがあるから、だからこそ、それによって、後退してしまうものなの。「誰もみんなお金を稼ぐために働くんだよ」社会人の先輩、自分より二回りも三回りも上の先輩がそう言って、すかさず、自分は「いいえ、ちがいます。社会に貢献するために働くんです。」先輩「何言っとる、人は生きていくために、お金が必要で。食べるのにも住むのにも、何か服を着るのにも、お金がなければ生きていかれない。だからね、お金を稼ぐために仕方なく働くんだよ。」自分「そんなん違います。全く、間違っています。みんな社会に貢献するために、働くんです。どんな些細な仕事でも、人類全体が発展していく力になるんです。お金は、その副産物です。主目的は社会貢献、これだけです。」 自分でもびっくりするくらいに自然に口からペラペラ溢れ出る言葉に、頑固なその社会人の先輩も、少し感心する。自分が一番に、自分に感心した。思っている以上に良い成長をしたのかもしれない。

 そんな会話を交わしてから、2ヶ月くらい経って、自分は仕事に行かなくなった。社会人の先輩はもう、30年とか、毎日働いている。人並みのマンションを買って、それなりの生活をして、何不自由なく暮らして、たまにケーキとか、少し高いお惣菜とか、生牡蠣、お寿司そんな贅沢を、仕事帰りに買って家で嗜んだりもしている。正義は厄介である。何が良い成長だ。全く社会に適合しない。生きづらい。少し邪悪で、ねじれて、道徳の薄い方が、淡々とこの世界では成功する。純粋で、素直で、信心深く、人徳の高い清い心の持ち主は、淘汰される。うつ病は、やさしい人間の証拠である。

 赤ちゃんはみな純粋な存在に生まれる。生きていくうちに、やがて周囲の汚い環境に自身を馴染ませる。子どもが、やさしい心を持ったまま、社会で淘汰されないように、親はそのように育てるべきである。すると、周囲の穢れも不浄も溶け去らせるほどの清い人間性ができ、大いに称賛されるようになるのである。

 見返りのない純朴な気持ちで文を属すことは、穢れた人間のせめてもの徳行なのかもしれない。