9月12日の甲子園球場
赤星はいつものようにセンターの定位置を守っていた。
ここ数年首痛に悩まされていたが気力でプレーをしていた。
医者からはダイビングキャッチ禁止令が出ている。
しかし赤星は常に全力でプレーする事を身上としているため
度々ダイビングキャッチを試みていた。
それが選手生命を縮めるとわかっていても外野手としての本能が
それをさせていた。
イチローがダイビングキャッチは選手生命を縮めるのでやらないと
伝え聞いた事もあった。
しかし170cmの小さな体ではがむしゃらに、それこそ命を懸けて
プレーするしかなかった。
社会人時代、プロ向きの体ではないとどこも獲得を見送る中、
阪神の野村監督だけは赤星の足の速さを買ってくれ、
さらに入団してからは熱心に指導してくれた。
その思いに報いるためにも赤星は常に全力を尽くした。
自分が頑張り、盗塁をする事で盗塁数と同数の車椅子を寄付し
社会福祉に貢献してきた。
しかし医者からはこのままプレーを続けると自分が車椅子生活に
なってしまうとも言われた。
それでも赤星は打ち、走り、そして守った。
そして運命の打球が自分の前に飛んできた。
赤星は何の躊躇も無く飛んだ。
打球はグラブをかすめ、抜けていった。
そして体はグランドに叩きつけられた。
その瞬間激痛が走り赤星の長いようで短かった9年間の選手生命が終わった。
後にこの時のことを怪我を悪化させた事よりも打球を捕れなかった事の方が
悔しかったと語った。
自分で立てず、支えられて退場した赤星は医者に『中心性脊髄(せきずい)損傷』
と診断された。
このままプレーすれば命に係わると・・・
しかし赤星の闘志はそんなことでは萎えなかった。
しっかりリハビリをして来シーズンに備えるつもりだった。
しかし球団としては文字通り命をかけられては困る。
球団は引退を勧告した。
それでも赤星はあきらめ切れなかった。
まだやり残した事があったのだ。
それは日本シリーズで優勝する事。
2005年のロッテとの日本シリーズに4連敗をした悔しさが常に脳裏にあった。
しかし思うようによくならない体に赤星はあせった。
そんなある日赤星は両親に引退を勧められた。
もう十分だと・・・
赤星は涙し、引退を決意した。
引退会見は涙をこらえ時折笑顔も見せた。
そして自分の守備位置であるセンターで最後の車椅子贈呈を行った。
いつもは室内練習場で行う式典だが最後だからと9年間守り続け、
あの最後のダイビングキャッチを試みた場所にしてもらった。
全てが終わり、グランドを後にする時、赤星はグランドに深々とお辞儀をした。
9年間がむしゃらに走り回った赤星は最後はゆっくりと歩いてグランドを去った。
終わり