エントリしましたかー!
鍋あらい皿洗いの真実。
キャンプでの洗い物をナメたらいけませんが
俺はカレーの皿をナメることもあります。
価値観という、あってあたりまえだからありふれているものを
お互いの真ん中において眺めるような愉しさを味わえると思います。
アレ?
カレーの皿をなめたらいけませんか?
お行儀が悪いからでしょうか?
お行儀とエネルギーはどちらが大切ですか?
「どちらも大切だけどナメるのは無いよね」だと?
こういうジレンマはいたるところにあるでしょう。
ジレンマを乗り越えるには
意志が必要です。
意志というのはとても重要な塊です。
ポリシーと訳してもいいかも知れません。
重要なことをいいます
ポリシーや意志はあればいいものであって
変化することは自然です。
ポリシーや意志がないことを嘆く必要もありません。
自慢げにポリシーを語る人もいますが自慢気なので
そんなのは屁みたいなもんです。自慢したところで
俺だって持ってるしお前自慢してバカじゃねえの
と思われておしまいです。
ほかの人が意志やポリシーを持っていることに気づ
いたらそこから学ぶことができるとすてきです。
また自分に関係ない分野にまで強い意志やポリシーを
持つほど私たちはヒマでもありません。
ワイルドスピードの良さを語るに意志はありますが
崖の上のポニョなんてどうでもいいのと似ています。
しかし、大切に思うところで意志がないなら
関係の薄い分野にて意見の一つも出ないでしょう。
意見は、いつでもどこでもだれでも何にでも
もっていて良いのです。
意見を求められた時に、その件のどこかに自分が持つ
ポリシーや意志のカケラが見えますから
そこから意見が出るのです。
意見がないというのは、そもそも持ちうる意志や
ポリシーがたいしてありやしないのが露見している
だけなのです。
意見というのはどのような分野や案件に対しても
あるべき、意志やポリシーの礫のようなものですから
意志の無い人が何かになんかいってもなんだかちぐはぐ
でうすっぺらに聞こえますでしょう?あとダサい。
という風なことを言うことも、私の意志です。
お互いの間に皿と鍋を置いて
意志や意見を眺め合うのが
TCSでございます。
はなもちならない私ですが
そんなこと気にしてると
大切なチャンスを逃すぜ。
イヒヒ
おっと

ジャック・ソード
という映画を無料動画で観ました。
フランスの映画です。
めずらしくなかなかイカした映画でした。
なるべく殺さず
風景も、時代描写も美しく
人たちもきれいです。
セクシーな場面も描写がきれいで驚きました。
セクシーというより、色香だけでした。
見た目でセクシーなものはたいして面白くは
ありませんが、色香を出されるとぐっときます。
ジャックの笑った時の頬の線も好きでした。
ウイリアムデフォーの頬の線も好きです。
俺はふとっちょなんで頬パンパンだから
うらやましいです。
という軽めの意志があっても
それは俺の物なので
誰か観た人とジャックを真ん中において
語り合いたい。
その前に皿と鍋おいて
おもしろくすごそうよ今夜。
昨日はさすがに熱中症気味になった俺は
昼間に倒れていたので
夜無料映画を見たわけだけど
だったら働けばよかったか。