生き物語。
は面白くわかりやすいこどもとビーチの必携書ですねこりゃ。
コメントというかキャプションみたいのが素直。
「たぶんキビナゴだろう」とかたぶん情報もかいてある。
そういう素直さが信頼できる。
そんな南房総の大房岬に回天が配備されていたことは
書いたけれども、今朝はうまいこと早起きして車に体を
入れ、オフィスの駐車場は運転席側がぴったりで開けら
れないので、助手席側になんとかして移動し、助手席側
ドアを開けて外へ出て、ヘエ。とか言うわけね。
ヘエ。と言ってなんとなく開放感を得てからから、
こんなもんじゃなかったろうな、回天。って。
と生き物語。より素直に感想した。
うろ覚えの資料だが、大房に配備された回天は1基だったような
記憶がある。本当はさっぱりわからない。ちょと資料掘り出す
手間もない。
あるいは震洋という特攻兵器だったか、それも定かじゃないよう
な気がしてきたが、ま、資料掘れないので今日は回天があったってことで。
回天があるということは、最低1基だったとしても、搭乗員と
整備員、少なくとも2名か。搭乗員、予備搭乗員、整備、の3名か。
いずれにせよ、少ない人数が回天専用に配備されたはずで、しかも
搭乗員は死ぬためだけに訓練し、大房に就いた。
どうだろう。
あの岬の小さなワンドは、穏やかな日には全て美しく見える。
死ぬために少ない搭乗員がワンドの景色をどうながめたのか。
もちろん訓練もしたろう。人力でレールに回天を載せて
海岸へ運ぶ。その人力にはもちろん基地の少年兵も居ただろう。
死ぬ為の兵器を終戦間際の5月6月7月に汗して運ぶ気持ちを
思うと、胸が詰まる。
死ぬ気満々。
つまり、殺す気満々で回天に乗る。
なるべくたくさんの人間を殺すために、
殺す人間の家族や恋人のことなど考えず
たくさん殺したいと思って回天に乗る。
私の気持ちは、はっきり回天搭乗員側にある。
海面の浅いところを静かに滑って忍び寄り
駆逐される敵国側の気持ちには立っていない。
立てない。
(駆逐された記録はあるが、アメリカ側の資料では
回天が駆逐したという記録はない。戦果は不明と言える。)
殺される側の気持ちより
殺す気満々の回天搭乗員に思いがぐっと寄っている。
朝からそんなこと考えていると
俺の車は随分広いし、暖かいし、
どこへでも行けるし音楽も聴ける。
ABSもついているし、エアバッグも
たくさん付いてる。剛性も高く、
速度も満足できるくらい出るし、
4輪駆動で走破性も高く、GPS
(カーナビ)もついているし、
シートも電動(のろくてやだけど)だ。
回天の狭さ、機関のストイックさ不十分さ
乗り心地なんて全く関係ない構造、
窓なんかなく、外を見るには短い潜望鏡、
実践で発射すれば帰ることはできない。
一方私は誰も殺さず、誰にも殺されず(たぶん)、
むしろより明るく生きるために行動する毎日。
なんだか済まない気持ちになりかける。
が、前を向くに、後ろめたさを感謝に換える。
で、車を出て、途中の公園を通るまでの短い間に
そんなこと考えてたもんだから
「ナニが ヘエ。だ。」と短く突っ込んで
で、オフィス着。
コーヒーたくさん飲んで
大好きなトイレに行って
パソコンつけて
Amazonからやってきた分厚い本に満足し
Amazon行って遊んで
で、今。
回天のせいで
朝の30分はそんな風に過ごしました。
ものすごく平和。
後ろめたさを感謝に換える能力に長けているので
感謝いっぱいに
これからまたAmazon行こうかなっと。
大房いったらケーセン場あたりの浜を見てください。
おそらく回天も通った、波打ち際までのレールスロープ
の跡がわかります。
幸せだからAmazonばっかじゃなくて
ヨコハマあたりに釣りにでも行くか。
じゃ
これからAmazon行くんで、いそがしんでこれで。
