頭に取り付いて離れないので
書いてみたらどうかと、ここに毒吐きに近い
思いを自分で寄せてみようかと。
回天は、魚雷を切ってつけて作った兵器です。
コントロールするための装置をつけて中に人が入ります。
およそ直径1メートルの筒の中に入り
潜望鏡でたまに外を確認し
敵艦にちょうど良い角度で突っ込み
爆破しようという兵器です。
一度作戦が始まると、回収不能になります。
回天だけで敵艦に近寄ることはできず、母艦になる潜水艦から
発信するので、発信したら潜水艦は回頭して逃げないと敵に
見つかって逆にやられてしまいます。
ほかに
震洋(ボート型特攻兵器)
桜花(グライダー型特攻兵器)
伏龍(潜水士が爆弾つきの棒を持って敵艦に突き立てて爆撃する、潜水服型。)
などの特攻兵器があった。
これらと回天の違いは
「死ぬため専門の訓練」だった点だと私は考えた。
回天の操縦技術は、ほかの兵器と違い技術の応用や流用ができない。
たとえば
桜花に乗るのは飛行機の操縦技術の長けた人。
飛行機の操縦ができれば、桜花の搭乗員になれるし
よしんば桜花が発進しなくてもその技術は温存され
ほかの戦闘機で爆撃に出ることができるし
ほかの戦闘機に乗って作戦に出て、機体が傷つき帰投不能になって
せめてもの思いで体当たり攻撃をすることもできる。
しかし回天は、それを操縦できたからとほかの兵器の操縦に
通じるものは無い。
死ぬ兵器のためだけに訓練をする。
しかも目標を見て突き進むことができない。
目標までの距離や角度を一人で筒の中で計算し
潜望鏡でアテをつけて
ココだと信じたところにどんどん行くしかない。
見つからない深さで潜航したら敵艦の下をくぐってしまう。
浅すぎても発見されやすく、この兵器の長所が生かされない。
黒塗りの筒に一人うずくまって角度と速度を計算する。
戦果の確認もできない。
潜水艦のソナー員がおそらく成功?自爆?など音で想像するしかない。
誰がどこに当たったか誰が戦果を挙げたかもわからない。
訓練中の事故死も少なくなったそうだ。
死ぬために生きる。
死ぬために訓練をする
死ぬためにご飯を食べて
死ぬために上官にタタかれ
死ぬために睡眠をとり
死ぬために排泄をし
死ぬために整理整頓をし
死ぬために機械を整備し
死ぬために懸命に生きる。
不思議で仕方がない。
戦時は当たり前なのか。
俺が同じ立場でも平静を保ってできたのか。
本当は泣き叫んで母のもとに帰りたくはなかったか。
恋人を抱きしめたくて逃げ出したくはなかったか。
同じ死ぬなら、反逆罪をおかしてでも脱走しはしないのか。
生き残った人の書いたものを読むと
良き思い出の風情もあるが
本当に死んだ人たちは無念でしかなかったのではないか。
キャンプでは生きるために生きる。
死ぬために生きることは想定に皆無。
生き生きと輝き奔放に感じ明るい未来だけを描いて
生きるいっぽうだ。
不思議でしかたがない。
悲しみよりも、どうやって死ぬために生きることができるのか
大きな興味がある。
誰かのためになるのか。
この兵器は必殺なのか。
本当に敵艦に当たれるのか。
そう思うと、自分の命が惜しくはなかったか。
本当にあの筒の中で
日本の勝利と残した家族の笑顔を夢見ることができたのか。
幸せ色を描いて体当たりし爆死したのか。
体当たりできず、敵艦をくぐってしまい
そのまま海底に突き刺さったりしたら
爆死ではなく窒息死か水圧による圧死だ。
水圧がかかると徐々に機体が押しつぶされ水が入ってくる。
その間、どういう思いがしたか。
鎮魂
あれから数十年、魂は鎮まったのか。
私は、死ぬために生きた若者の冷たく暗い筒の中を思うと
苦しくて苦しくて仕方がないのに
何分後かには、桜を愛でて清々しく歩いている。
そう書いている今さえ、特段の罪悪感もなく
死ぬために生きることの不思議さだけを思い
回天が突き刺さったままの海底がここだなあと思いながら
タイを釣るために喜んで海底を探っている。
死んだのは回天の兵士だけではない。
そんなことはわかっている。
だから「不思議で大きな興味がある」と
正直に言っている。
満開の桜の花びらの一枚でも
海底に届けたいと思うも
術もなく思っているだけの今日。
これほど悲しみと暗さ冷たさを思うのに
平然とウインナーやらカキフライやらを平らげられる
私自身にも不思議を感じる。