以前、津波の本を紹介した。
吉村昭 「海の壁」 だ。
http://ameblo.jp/tcs2005/entry-10471956356.html
津波の無表情な動きがどれほどの被害を出すか
今回地震で映像をみるに、想像していたとおりの
無表情さと圧迫だった。
今回の地震を受けて、吉村昭 海の壁 での検索で
このブログへのアクセスがあることで
そういえば書いたと思い出した。
微小な津波や
歌謡曲の TUNAMI
波乗り映画を見るに
津波はずっと誤解されていたのではないか。
被災地は、経験から対策をしていた。
1960年の津波からここまで復興し
堤防を築き、備え、心がまえた。
今回の津波は、それを大きく上回るものだったし
震源地の近さからか津波の到達は早かった。
吉村昭は、史実に基づいて足でかせいだ情報から
小説を書くが作品をフィクションだという。
ノンフィクションではないのは、心情や目線が主観による
ものだからだ。
私は、客観などはできないと日ごろから思っているので
信頼できる主観を客観だとするなら、ノンフィクションと
いっても良いと思っている。
この期間に観た、オレンジカウンティというコメディ映画では
津波はただの大波だった。
3メートルの高さの流動的な物体がひたすら押し寄せる
という圧倒的な様を想像して身震いした読後感だったが
それを上回る事態が報道され映像に、言葉を失った。
どんなにお悔やみを述べても
お見舞いを申し上げても
まったく足りていない。
自然の驚異というにはあまりにも無表情で
圧倒的すぎ、憎もうにも憎む相手が見当たらない。
影響は、私の事業にも届く。
規模の小ささが幸いし、フットワークと変更事項の集約に
は自信があり、それを生かして活動を続ける。
それでも、運営が可能なだけの参加があるか、どうか。
影響は、広く長く続く。
言葉を失って呆然としそうだが
本当に呆然とされるのは、地震や津波の影響をじかに受け
被災した方々だと思う。
呆然としそうなところをこらえられる環境にある私たちは
自分のもちぶんでよりしっかりとした仕事をしなければ
ならないと、もう迷いなく決めた。
ここで言う私たちとは、TCSであり、思いを同じくする仲間の
ことである。
言葉を失ってはいられない。
どうにか話し、どんなに足りなくても言葉をさがして
こどもたちとキャンプを通して育ちあい、長大で広大な
復興の礎となるよう、学びあわなければならない。
迷った時もあったが
今はそうではない。
私にしては時間がかかったが
被害や影響が微弱な者から晴れ空をこころに
広げあおうと思う。
3月17日から
1週間のキャンプをやった。
参加者は入れ替わり立ち代りで90人
キャンセルは100人を超えた。
その日々は普段のキャンプとあまり変わらなかった。
この経験は、自信を深めてくれた。
日ごろから
必要最低限が必要十分である、
生きるために必要なほとんどのことがキャンプにあると
言ってきている以上、困るのはおかしい。
自粛する隙はあまり無かった。
再開のめどは無い。
一度も閉じていないから
再開とは言わない。
しかしともすると、閉鎖、はありうるかもしれない。
そのめどもまた、わからない。
言葉を失ってはいられない。
閉鎖や中止を判断する日が来るかもしれないが
影響が微弱なものは、手を差し伸べたり
青空をかもし出しひろげることを
やめるまい。
圧倒され、失いかけた言葉をとりもどす。