キャンプ技術四拾八  自己責任を相手に言わないこと | キャンプ協会なにしてる

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東京都キャンプ協会の理事の一人が勝手に書いているブログです。キャンプのためになる可能性があります。

しばしば、自己責任が問われる時代になった。

これは、イラクでの高遠さんたち拉致事件から頻繁に
言われ始めた言葉だ。もちろん、言葉としては以前
から有ったわけだが、おそらく免罪符として、責任逃
れの切り札として、自己責任をこれは「管理する側」
が言うようになった(言いやすくなった)。
私は大いに疑問に思う。

おそらく、自己責任という言葉についてある程度
しっかりした考えを持たぬ人が、キャンプや野外
活動で参加側に「自己責任で」と言うのだろうと
思う。罪のない気軽な一言でしかない。が、浅薄
に使って良い言葉ではない。

自己責任を突き詰めれば、リスクマネジメントは要らない。
あるいは、こういう考え方もできる。「自己責任と相手に言う
ことがリスクマネジメントである」と。これを聞いて良い気分
になる人はいないだろう。残念ながら、自己責任を相手に
言うということは、そんな意味を含むことになる。

同意書、というものをご準備され、それに印鑑押させたり
サインさせたりする。残念なことに、そんなことで責任は
逃れられないのだ。「あんた、あれにサインしたじゃんか」
と言っても、管理側(指導側)の過失はきちんとはかられ
てしまい、訴訟になり敗訴もする。
効果があるとしたら「自己責任で参加するんですからね
覚悟してくださいよ」と、相手を脅せることくらいである。
(参加する前に「十分に予測可能」な軽微な怪我などで
言いがかり的に訴訟になった場合にはやや効果がある
らしい。しかしこの場合、十分に予測可能なだけの情報を
相手に与えたかどうか、なども重要でしょう。)(つまり、指
導管理側に完全に過失がない場合には利く。)(つまり、過
失がないのに事故が起こるわけないから、有効ではない
と私は判断し、使用しないでいる。)
私は脅すのは大嫌いなので、同意書にサインさせたこと
は生涯一度もない。が、サインしたことはある。冷たい仕
打ちだと思いながら、確かに小さな覚悟は必要だったと
思う。何せ脅迫に負けているんだから。

私は、高遠さんたちがイラクで拉致されたときの報道が
自己責任自己責任、自業自得で迷惑、などとバッシング
ムードだったことが、痛くしみている。
あれほどつらい思いをしている人に、自己責任だと言い、
国も国民も迷惑がった。
その後、高遠さんは「それでもイラクを支えたい嫌いに
なれない・・」と、確かそういう意味の尊い言葉をおっしゃ
った。
それに対してさえ、懲りない人だ、と言う声があった。
それがつらくて、自己責任という言葉を考えるようになった。
で、私には使いにくい言葉、言いにくい言葉だと感じた。


私のキャンプにも「おきて」っていうのがある。
このなかに「じぶんのいのちはじぶんでまもれ」という
のがある。これは、自己責任を問うものではない。
自分でまもるどころか、介助しないと食事や排泄も
ままならない子がいるんだから、おれたちがいなけりゃ
彼は死んでしまう。

自己責任というのは、その範囲や内容が定かではない
場合にはなおさら、管理側のひどい責任放棄になる。
たとえば、「自己責任で参加してください」などの場合は
これはひどい状態だと言える。
たとえば、「これ以降はスタッフも就寝しますから、飲酒
は明日を考慮したうえで、自己責任でお願いします。」と
オトナに言うのであれば、まあお茶目の範囲だろう。


自己責任というのはまた、とてもネガティブな考え方で
そこも好かない。

ようやくココからが役に立つ部分だ。

①たぶん、それほど良く考えて使っているわけじゃない
 だろうから、まず自己責任と口にしないことを決める。

②例。
 ・できるだけ自分で考えて行動してください。
 ・自分の力で乗り越えようとしてください。
 ・どこに危険があるかご自分でも良く考えてほしいです。
 など、自力だけじゃないですよ、と言うニュアンスを
 含めて、しっかり伝える。

③仕舞。
 +想像を超える部分は私がお手伝いします。
 +できないと思ったら声をかけてください。
 +間違えても大丈夫です。そこは見てますから。
 など、仕舞には自力を越える部分は指導側が見
 て支援するというやさしくて強い意志を示す。

・・・と言う風にしたらどうか。
  これなら、ほとんどの人の言う気軽な「自己責任」
  の内容を示しているでしょう。
  まさか本当に、全部お前の責任だからよ、と言いたくて
  自己責任 と言っているわけではないでしょうから。


自己管理という言葉もあり、これは私も使うが、
この場合、自己管理はスタッフにかかる言葉で
参加側に言うものではない。
スタッフ側が自己管理を志し、それが成せてようやく
参加者の管理に手が行き届くわけだから、責任逃れ
とは違う意味になる。


 私も言葉を適切に使っているとは言えないけれど
何か気がかりになる言葉はこうしてお互いに出しあ
ってみてはどうだろうか。


イラクの時には、その社会の冷たさに怖くなった。
自己責任。迷惑がる側が責任逃れをするために使う
いいかげんな言葉だと私は決めた。


たとえば
あなたが酒を飲んで道で転んで骨を折ったとします。
誰かが救急車を呼んでくれて、無事に治癒します。
酒を飲むことは自己責任と言うやつですね。
だったらあなた、自己責任を取って、救急車の代金を
払いますか?当然の権利として払いやしないでしょう。
それに、救急車も「自己責任ですから行きません」と
言うはずありません。
それでいいのです。そのために互いに税を払っている
のです。

ま、本当のオレは、ざまああみろと思ってるんですがね。
酒飲んでこっせつなんていい気味だからよ。


たとえば
参加者がやけどをしたとします。
スタッフがいれば防げたりしたはずです。
それでもあなたは参加者に「自己責任でしたね。」
などと言いますか?言いやしないでしょう。
だったら最初からそんなこと言わなきゃいい。
冷たくてさびしい言葉だと思う。



そんなわけで
どうせ責任逃れのつもりはないなら(あるやつもいると
思うが)、自己責任で、などとつめーたくしないでいいん
じゃないかしらね。

わかりやすく安心できる言葉を選んだほうが
世の中がうまくゆくとおもうよ。

オレは、本当にイヤだったんだ。
あの、イラクのときの「自己責任」が。
イラクのほうは本題ではないからあまり書かないけど
あの冷たさと迷惑そうな感じ。
情熱と力のある若者がつらい思いをしているのに。

だからなおさら、嫌悪感が。



そんな勝手な気分からの放言も
自己責任なんかじゃなくて
いよいよまずいときには理事長が助けてくれっから
安心して書けるわけだよね。


ま年末の割には書くのに時間かけちゃったんで
これで。

じゃ セルフィール!