キャンプ技術四拾六 助成が消えるとき | キャンプ協会なにしてる

キャンプ協会なにしてる

東京都キャンプ協会の理事の一人が勝手に書いているブログです。キャンプのためになる可能性があります。

事業仕分け、不況、いろいろなことがあいまって、

助成・補助が消えゆく。


助成は当然のものではなく、何かあれば無くな

ってしまうものだ。CATにしても、財源が減る予

測から、さまざまな助成を考え直したり身の丈

にあった運営を考えるタイミングにある。

これは、由々しき事態ではなく、身の丈を見直

す好機だと感じている。


会員皆さんの会費をお預かりし、それらを適宜

還元しながら先に進むのが、私たちの仕事だ。

NPOになってこちら、お預かりした会費でキャ

ンプを通して世界を良くしようとつとめてきた。

TCSにしても、以前は、CAT会員限定だったが、

今は、一般にも開放されている。

そのおおもとは、皆さんからお預かりする会費だ。


CATの経営は、私も同じ経営者という視点で見て

も、適正だと客観できる。予算も決算もしっかりし

ており、数字合わせではなく現状合わせをして

数字を説明できる。

こうした経営ができるのも、会員皆さんのご理解

あってのことで、運営はスムースだと感じる。


「皆さんからお預かりした会費」、この重さはひどく

身にしみる。会費を払う側は、そう期待をしていない

かもしれないし、資格を保存するためにしょうがない

出費だとしか思っていない人もあるだろう。

会費を払っただけ還元されているという実感はほと

んどの人は無いかもしれない。しかし、CATの事業

をごらんください。そして是非事業にご参加ください。

一度何らかの事業にご参加いただいたり、機関紙を

ごらんいただければ会費還元が幅広くしかも十分に

なされていることにお気づきいただけるはずだ。


こうした運営のおおもとは、皆さんからお預かりした

会費である。もちろん、収益事業をしようと目論んで

もいるが、しばらくは会費収入がCAT財源の多くを

しめるに違いない。(収益事業をするかどうかは

まだ議論中でもある。)


会費収入が減れば、運営の仕方や会員への助成

支援そのほかも減る。これは自然な理でしかない。

受け止めて、考えて、それでもキャンプを通して

世界がすてきになってゆくように考えたい。

投げ出したりあきらめたりしたら負けだ。

理事長はじめ、負けず嫌いが集まったCATでは

おそらくどうにか負けない方法を強気で考える。

負けることは無いが、燃え尽きることはあるかも

しれない。それはそれで清々しく、それも良いか

なと思うときがある。



私の経営する民間団体も、それより相当大きなNPO

であるCATも、不況・円高・財源確保・などでいろいろ

なことが見直されるのは、当然のことだと私は思う。


助成はカットされ、基金は解体され、予算は減る。

まさか、助成が一生続くと思っていた人は居ないだ

ろう。


・おかしなことではないか

・きちんと評価されていないのではないか

という話には、ここでは触れない。


ここで大切なことは

「○○にはお金が流れているのに、コチラのほうは切られた」

という、相対評価ではない。

「私たちはこれからを常に考えていたか、で、どうするか」

という、まっすぐな絶対評価で話をしたい。


・助成などがカットされる予測

・助成などがなくても経営する計画や自信

・経済的に困窮したときの対策

それらの無い経営は、どんなに予算決算がしっかりしていても

ドンブリ勘定でしかない。

困窮したときには散財して解体しよう!というものでも

それはビジョンだといえる。(私はこれだな。)

しかし、困窮をした時を考えていないというのは、ただの怠慢だ。



社会に役立つ仕事だと自認するなら、そのくらいの覚悟と心がけ

があってようやく、社会の役に立ち続けることができるわけで、

助成がなくなるという予測可能な事態に困ることはなかろう。

そして、助成が切られることに怒ることも無かろう。

イイコトしてるのに助成を切るなんて無責任!と、切った相手が

無責任なら、切られたらこまる経営していた人の責任はどうなる。

あくまでも相対評価ではなく、自分はどうかの話です。

ヨソにはお金がいっているジャンね、という、隣の芝を見るまえに

自分の芝がどうやって生えているかを見ておきたい。

ひょとすると、自分の芝は刈り込み不足だったかもしれないし

肥料が多すぎたのかもしれない。



さて、いろいろと書いたが、実は私は、これらの話に特段の

情熱は無い。どうも助成がカットされて困っている話も聞くの

で、触れてみただけで、助成がなくなれば、助成を要さないよ

うに、物事をやれば良いとだけ思う。

怒ったり困ったりする話ではない。

憤慨する人を見ると、なんでいままでわからなかったの?

と言いたくなる。

おかしな話だが、誰かが決めた評価基準に甘んじられた

今までやれただけラッキーと思ってほしい。そこに私の税金

もつかわれていたわけだし、そのありがたみを忘れて、怒っ

てはいけない。

誰かの評価基準が気に入らないなら、頼らなければいい。

自分の基準を握り締めて、自分が汗水たらしたお金をどん

どん社会貢献に使えばよい。



私はかねてから、いつかこのような日が来ると思っていたし

その警鐘を小さくはあるが、鳴らしてきた。



助成が消える日。


これは重い話ではなく、助成に頼らず羽ばたく好機ではないか。

ゆめは、基金や助成にはない。そこにあるのは、誰かのお金

であり、ゆめなんかではなかった。

ゆめは、いつも自分にあり、仲間にあり、一緒に過ごす

こどもたちに託すことができるものだ。

どんなに小さくても低くても、身の丈に合った優しく穏やかな

ゆめを手放さず、お金にゆめ見ず、お金でゆめ見ず、

ごきげんですごせるようになる。



女性が消えたらこりゃ問題で大騒ぎする。

とくに、年頃の女性が消えたらこまっちゃう。

俺の授業の主題「キャンプ上手は恋上手」が

学生相手に成り立たなくなるからよ。



俺なんて、足腰立たなくなってもキャンプやれるように

バギー買ったし。ボッカマンやユンボも買ったし。

年老いても収入を得ようと新しいチェンソーも買ったし。

ハコモノは自分で作るように、林業機械と製材機械も

買ったし。

俺が寒くて凍えてキャンプしてると若い衆もこどもたちも

寒く感じるだろうから、偽造アバクロの実はフェザーなの

にダウンも買ったし。

助成は受けないけど、女性には受けるように、新しい

ストーブも再設計中だし。

靴がダサいと親御さんから困った人だと思われるので

新しい靴をオーダーしたけどまだ香港辺りにあるのか

着荷してないし。




みんな

助成や基金がもしなくなっても

気分良く自力ではばたこうぜ。