この日曜に、奥野正恭先生を偲ぶ会 の末席に列することができた。
会場には、い○ださん、というじいちゃんもおいでだった。
DOL元所長ヒゲッチが不在なので、その代わりだった。
代わりにしては小さきものだが、奥野先生と様々な場面で
ご一緒させていただいていたので、許されると思う。
いずれにせよ、行こうと思っていたのだし。
奥野正恭と言っても、もう私の世代以降の人は良く知らないだろう。
決して昔の先生ではない。現役のまま逝かれたといっても良いと思う。
キャンプやレクリエーションと言うのは、文脈が違うと互いに顔を
合わせないまま時が過ぎてしまう世界でもある。
もったいないことだと思う。
昔、といってもたぶん30年近く前、は、キャンプもレクも一緒くただった。
レクの先生はキャンプの先生もあり、キャンプの先生はレクの先生でも
あったわけだ。なんら専門性はなく、一緒くたのまま煮出された。
おそらく、この前後が一番、青少年活動が盛んで、子ども会なども
元気だったのではないだろうか。
地域のリーダーは、レクもキャンプも関係なく、地元で力強く
活動していた時代だった。もちろんプロなんて居ないか、
居たとしてもごく少数の、兼業指導者だったろうと思う。
煮出された成分を器用に色分けする作業はさぞ楽しかったろうと思う。
何だか面白いこと、だったのが整理分類されてゆくわけだ。
整理されると、専門性が出てくる。
専門性が出てくると、一緒くたのカオスな取り組みから洗練された理論にと
ぜい肉がそぎ落とされていく。
残念ながら、ぜい肉と一緒に、包容力もそぎ落とされた。
専門性は「専門外」を生み出し、見えない壁ができてしまう。
たとえば、アウトドア雑誌がばたばたと店をたたんだ。
専門誌が出てくると、広く浅い一般誌は売れなくなる。
いまだにがんばっているアウトドア雑誌もあるけれど
残念ながら私も立ち読みで済ませる程度の内容だ。
昔は面白かったんだ。新鮮で、心躍った。
一緒くたの時代は、誰もが誰もを知りながら楽しく指導していた。ようだ。
奥野先生は、一緒くたの時代を築いてこられた。
それは、CAT創始者の中村典男先生も同じだ。
い○ださんも、なか○くさんも、その時代を謳歌されたろう。
面白いことに前向きなそんな人たちは、えてして報告書が嫌いだ。
たぶん。きっと。
面白いからやっているわけで、報告書なんておもしろいわけない。
さて、奥野正恭先生には、ファンがたーっくさん居る。
ほんとうにたーっくさん。
仲間もたーっくさんいた。ほんとうにたーっくさん。
私は、ファンでも仲間でもなく、孫弟子にあたる。
ファンや仲間も大事だが、結構孫弟子って言うのも大事だなと思った。
ファンや仲間はそれっきりの場合もあるが、弟子は、脈々と続いてゆく。
徒弟制度が守ってきたものは確かで強い。
TCSカオスの時代に、そんなことを考えながら偲んだ。
偲ぶ会なので、ほんわかと帰れるかと思ったが
逆に、身が引きしまる思いと使命感を重く背負っての帰路となった。