雨が降ると
「残念ながら」とか
「願いかなわず」とか
そんなこといいながら、雨を悪者にする悪いやつが居る。
キャンプをしていて雨が降るのは当たり前だ。
雨を悪者にする人のほとんどは
腕が悪いやつだと俺は本気で思っている。
雨には雨の楽しみがある。
起床時間に「今日は雨だからゆっくりでいいよ」とかいって
ぐだぐだ起床にして、それでも動きの早い子には
本部の手伝いをしてもらう。とか。
雨を受け入れるために時間がかかる子もいる。
それを忘れちゃあいけない。
大人だってそうでしょう。
会社に行く雨の朝、うわぁー雨だやだなー、とかいいながら
若干布団でもじもじして、で、うーーんおきるかー、って
少しいつもより踏ん切りが悪い。
でもどうにか受け入れて体を起こす。
雨を喜べとは言わないけれど
雨を嫌う必要もないだろ。
毎日ピーカンだったらどうよ。
それは砂漠化の前触れかもしれないし
温暖化の賜物かもしれない。
それでもピーカン続きを「いいお天気!」なーんて
のーてんきなことを言うのかね。
営業の基本に
「高気圧のときに顧客に訪問し仕事の話をする」というのがある。
人間の心持は気圧に左右され、高気圧のときは調子よくなるので
いい気分でおかいもんしちゃうそうです。
でもそれはお調子者っぽい営業マンの話だと俺は思う。
低気圧にそんなやつが来たらそりゃうっとうしい。
けれどどうだろう
低気圧に合わせてすこし寛いだ受容的な感じで営業に行ってみたら?
「雨ですし、ゆっくり話を聞いてくださいよ」とか言える関係を作るのが
営業の仕事のはずだ。だったら、低気圧にそんな感じで出かけてもだいじょうぶさ。
ねいいアイデアだろ。
低気圧のときにシゴトして、高気圧のときにすこしサボったら?
あと、大事なこと言います。
「アクティビティに頼るキャンプは雨に困る」という原則です。
雨に困らないキャンプをするためには
「アクティビティに頼らない」ことが必要です。
しかし、コレは矛盾ですね。
アクティビティに頼るのが当たり前ですからね。
雨プロを用意する、って言う手もあります。
でも雨プロを勘違いしていると
ただの残念賞みたいなプログラムになるでしょう。
雨でも晴れでも狙いは同じ、でなければならない。
「その時簡にソレをやるわけ」があるはずです。
つまり、目指す成果、があるわけです。
アクティビティを積み重ねているのだから、積み重ねの途中で
狙いより小さいものになると、その上に積めるのはソレより小さくなる。
当たり前のことです。
雨が降ろうが槍が降ろうが、積み上がったモノの大きさを変えてはいけない。
それができないから
「残念ながら」「願いかなわず」「あいにくの」雨になる。
アクティビティを中心に考えるからそうなる。
狙いのポイントをアクティビティ効果から外してみよう。
例えば、登山で得たいアクティビティ成果は
「みんなで登頂した達成感・やれば出来ると言う自信」だとします。
雨が降って「みんなで登頂した達成感・やれば出来ると言う自信」が得られないわけですが
すこし狙いを外してみよう。
狙いを
「みんなでやり遂げた達成感・自分が居たから成しえたという充実感」と言う風に
すこしずらしこんでみると、どうですか?
何も登山じゃなくてもいいですね。そういうことです。
登山は出来なかったけれど、その時間にほしい成果は別から得ればいい。
例えば『シトシトポイントハイキング』をし、ハイク中の課題で達成感を。
『雨降りパーティー』で、出し物や出店を各グループ用意し
パーティー盛況を目指してがんばってアイデアを出したり料理をしたり。
ね、登山ではないけれど、近いあるいはそれを上回る効果が得られそうでしょ。
ゲーム性、条件設定、課題設定などをプログラミングすれば
狙う成果が得られるんだ。と、信じて、懸命に考えることが必要だ。
これをね
雨だからっつって
「読書タイム」「各自クラフト」「歴史資料館見学」などにしたらどうよ。
なんら求める成果は得られない。
まそのような感じ。
雨が降ってもキャンプ生活がある。
雨だから生活するだけでも結構大変です。
けっこう大変であれば、そこから何かが得られる。
安直で無思考だと、タダの残念賞。
ま、そんなかんじ。
今日は暇ってワケじゃないけど
雨だからのんびり考えて書いてみた。
雨を悪者にするな。
雨があるから、生きてゆける。
梅雨に雨が降らぬほうがよほどこわい。