こんにちは、メイです。



私は中学1年生のときに

うつ病と診断されました。



うつ病になるような人は、

どのような子ども時代を

送ってきたのだろう…と気になり、

自分を振り返ってみようと思います。



今回は小学生時代編。



ほとんど記憶がありませんが、

雰囲気で思い出していきます。





妹の誕生



大きな出来事としては、

小学1年生のときに

妹が生まれたことでしょうか。



お姉ちゃんになれたことが

とても嬉しかったです。



積極的に育児を手伝ったとか、

そういう記憶はないんですけどね。





​習い事を楽しむ



器械体操を3年ほど、

水泳を1年くらいかな?

習っていました。



どちらも私の希望です。



学校で私だけ鉄棒の前回りおりができず、

母や祖母と一緒に公園で練習をしました。



前回りおりはなんとか

できるようになりました。



ただ、次は逆上がりができない…。



そんなとき見つけた新聞の広告。



体操教室の無料体験でした。



体験中に逆上がりができるようになり、

このまま続けたいと思い、

習い始めました。



マット・跳び箱・鉄棒が

めちゃくちゃできる小学生に

変身しました笑



水泳も5mくらいしか

泳げないレベルだったので、

体操教室に併設されている

スイミングに少し通いました。



4泳法を習得してすぐやめました。



器械体操は月10回コースだったのですが、

毎月母と相談して行く日を決めて、

問題なく送迎してもらっていました。



習い事でトラブルがあった記憶は

ありません。





母の言うことを聞けない



これが人生最大のテーマでした。



母の言うことをとにかく

聞けない子どもでした。



反抗していたわけでもないし、

それが原因ですごく怒られるし、

やる気はあったんですけどね。



今になってわかるのは、

母は私を思い通りに動かしたかったこと。



「自分が絶対に正しい」と

思い込んでいる母です。



母の言うことが聞けなかったときの

怖かった思い出はいくつかあります。



母が頭からみそ汁をかぶる。



母がハサミで服やカーテンを切る。



私を押さえつけて首を締める。



などなど。



お出かけをしても、

たまに友達と遊んでも、

平和に終われないのが普通でした。





希死念慮



5・6年生のとき保健委員だった私は、

保健室の先生と仲良くしていました。



5年生のある日、

紙に「生まれてこなきゃよかった」

みたいなことを書いて、

保健室の先生に渡しました。



6年生のときは「死にたい」と

思っていましたが、

誰かに言ったかどうかわかりません。





虐待に気づかない



明らかに虐待を受けていましたが、

他の家庭を知らないので、

うちがおかしいことに気づかず。



「他のお母さんは優しそうだけど、

 ちゃんとお母さんの言うことを

 聞いているからだろうな」

と思っていました。



「メイが全部悪い」と

素直に刷り込まれていましたね。