いろいろ社会で暮らしていると、ここは変えたいと思うことができてきて、
大きなものへ急激にぶつかりたくなるとき、そんなことありませんか?
考える前に行動。
行動しながら考える。
熟慮した後に速攻。
それでも解決しないときは、こういう言葉もありますよね?
『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす』
これは徳川家康で有名ですね。
そして、もう一人、これを実践して天下を取った人物が居ます。
日本では有名な『三国志』。そうです、三国志に登場する『司馬懿(しばい)』です。
ご存じ無い方に説明すると、『三国志』というのは約1800年前の中国、
漢の時代の末期、魏・呉・蜀の3カ国の興亡を描いたものです。
日本では卑弥呼の時代。
卑弥呼が魏の第2代皇帝・曹丕(そうひ)に遣いを送ったのが『魏志倭人伝』。
『魏志』とは『三国志』に含まれる一編なんですね。
『魏国に関する話』という意味です。
結論としては、『三国志』の魏・呉・蜀はどこも天下を取れなかったんですね。
『司馬懿』とその子供達が作った晋という国に全部飲み込まれてしまいます。
歴史の上では、魏が呉、蜀を併合します。
そのときには魏は、晋という国に内部から乗っ取られていた。
魏の皇帝に実権は無く、
『司馬懿』一族=晋の思い通りに皇帝の交代が行われていました。
『司馬懿』は曹丕の父・曹操(魏の初代皇帝)に仕えていたのですが、
3世代かけて国を自分の物にしていきます。
そして、ついに魏の皇帝から全てを譲り受けて、晋が唯一の国になります。
すでに『司馬懿』は死んで、孫の世代になっているんですが、皮肉ですね。
彼には、魏の曹操・呉の孫堅のようなスター性やカリスマ性は無かったと言われて
います。
軍師としても、魏の郭嘉・荀彧、呉の周瑜・陸遜ほど目立っていません。
有名な『諸葛亮孔明』との関係は当時から、むしろ敵役・引き立て役です。
『三国志演義』では劉備・孔明の蜀がクローズアップされています。
頭脳は明晰で、極めて地味、失点を犯さない、あまり語らない、慎重。
こういったむしろ有能な事務官『司馬懿』が天下を取ったのは、他の英雄達が
英雄であるがゆえに先を争って戦ったあげく、自分から自滅していき、
最後の最後に出てきた『司馬懿』にとどめを刺されてしまったからです。
司馬懿は時代は急には変わらない、何世代も掛かることを知っていたんですね。
晋や司馬一族には歴史的には色々あるのですが、それは置いておくとしても、
老獪=急がば回れのような典型に思います。
願わくば、良い意味の老獪さを持って、時代に向き合いたいものですね。