「緩和、緩和、自己責任」と2000年代初頭から言われ始めたこの言葉ですが、これはよくよく考えないと諸刃の刃です。どうも、デメリットを本来追うべき組織から、それを個人へと負担を移動させているような様子が無きにしも非ず見受けられるからです。
例えば、会社の出している商品自体が悪いのに、売れないのは営業担当の努力が足りないなど、組織が個人を追及するための道具にされている、そういう例が散見されるんですね。日本では100年前ごろから、こういった論理が幅を利かせてきたと私は思っています。「結果がついてこないのは、気合が足りないからだ」「結果がついてこないのは、努力が足りないからだ」つまり、「不利益を被っても、お前が○○だったから、お前の責任だ」この論理は何にでも使えるわけです。
確かに努力不足で上手くいかないことはあります。ただ、上司や会社、親、年長者、権力や権威を持つ人間が使おうと思えば、事実どうこうに関わらず、相手を攻撃できる言葉になるのもまた本当のことです。ですから、自己責任という言葉を他者に使う場合は、よほど検討する必要がある。軽々しく使えない言葉なのです。相手は200%努力しているのかもしれない、その人にそれ以上を望んだら、もう壊れるしかない。そんな事態だってある。
個人の行動に対して、個人が責任を持つのは当然のことです。しかし、保護責任者が責任を放棄するのに極めて都合の良い言葉でもあるのを忘れないことです。
『福島魂'sファイヤー』は福島の現地で復興を目指しています。が、私たちは突き詰めれば、どこに居てもそれぞれにできる事があると思っています。強制避難、自主避難に関わらず「故郷を離れて申し訳ない」という言葉を聞く度に、そう思います。リスクをどう評価し、どのような行動をとるかはまさにこれからの私たちに問われてくる課題です。危険と判断すれば、周囲に何を言われようが、どう思われようが避難して構わないと考えます。むしろ、危険と評価したのであれば、積極的に避難すべきだと思います。
福島県内の方であれば、線量が各地で公表されていますから、累積線量もご自分で計算できるはずです。実際、私は居住及び活動場所と時間で、年間の被曝線量を計算しています。「どうしたら良いんでしょうか!?」とパニックになったり、鬱気味になったりするよりも、すべきことを一つずつこなして、判断し、決断し、行動していくことです。決断するというのは、将来後悔しないことです。過去の決断を悔いる、というのはありえない。決断したのだから、その結果を全て受け入れる。それが決断する、の意味なのです。
押し付けられる自己責任ではなく、積極的に行動して掴み取る自己責任であることを望みます。少なくとも『福島魂'sファイヤー』及び私、剣龍ノ介はそうありたいと思っています。